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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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千種創一歌集『千夜曳獏』・・・木村草弥
千種_NEW

──新・読書ノート──

      千種創一歌集『千夜曳獏』・・・・・・・・・・・・木村草弥
                ・・・・・・青磁社2020/05/10刊・・・・・・・・

この本は予告があったので、すぐにアマゾンに注文して「予約」したが、どういう都合か、届くのが遅れて今になった。
この本も独特の体裁で、黒刷りの上に半透明の紙が被せられ、下の黒字が、ぼやけて見えている、というのが掲出した画像である。
ネット上に載る著者の予告文には、<獣の獏のように色々な表情を見せる装幀は、濱崎実幸氏の手によるもの>と書かれている。
続いて、『千夜曳獏』自選12首と目次が載っている。
それを引いておく。

『千夜曳獏』自選12首と目次

 千夜曳獏 自選12首

   でもそれが始まりだった。檸檬水、コップは水の鱗をまとい

   耳鳴りは竜の泣き声、大切にされずに育った灰色の竜

   風邪薬、封を開ければ白い霧、あなたのふるさとが遠いこと

   むきだしの松の根と似た悔恨がやがて私を絞め殺すだろう

   日向からあなたの拾ってきた椿、いま感情の日記に載せる

   すさまじい愛の言葉は憎しみに見える角度を持つかたつむり

   あなたがたまに借りて返しに来るための白い図書館になりたい

   千夜も一夜も越えていくから、砂漠から獏を曳き連れあなたの川へ

   花束を一度ボンネットへ置いた、遠くへ言葉を飛ばそうとして

   擦り切れるまで聴いている、雨の音ええなあ、というあなたの声を

   白に白かさねて塗れば天国は近く悩みと祈りは近く

   五〇〇年くらいがいいよ ライターへ炎を仕舞うあなたの鋭(はや)さ


 千夜曳獏 目次

歌集千夜曳獏 扉 裏    話し足りないというのは美しい感情だ


 つじうら
 水文学

Ⅱ 扉 裏    私はベティがコートを脱ぐのを手伝った。彼女の赤毛にそぐわない、赤いドレスを着ていた。青ざめて、
             やせて見えた。彼女は言った。
             「なぜ私が来たか。たぶん不思議に思っているでしょう。なぜかというと、花婿には花を持っていくものだし、
             死体にも花を持っていくものだし、花婿が死体でもある場合には、花束二つに値するからよ」 彼女が
             それらの言葉をしゃべったとき、まるで前もって準備してきたかのように言った。
                                                                 『ショーシャ』
                                                    アイザック・バシェヴィス・シンガー


 越えるときの火
 連絡船は十時

Ⅲ 扉 裏        名のために捨つる命は惜しからじ終に止まらぬ浮世と思へば
                                                   平塚為広
                      契りあらば六の巷に待てしばし遅れ先立つことはありとも
                                                    大谷吉継

 
砂斬り
金吾中納言

Ⅳ  扉  裏     古人無復洛城東
                  今人還対落花風
                  年年歳歳花相似
                  歳歳年年人不同
                  (劉廷芝) 「代悲白頭翁」

 ミネルヴァ
 水煙草森


 デパートと廃船
 赤 丸

Ⅵ 扉  裏       「私は今持っているこの美しい心持が、時間というもののためにだんだん薄れて行くのが怖くってたまらな
                   いのです。この記憶が消えてしまって、ただ漫然と魂の抜殻のように生きている未来を想像すると、それ
                   が苦痛で苦痛で恐ろしくってたまらないのです」
                                                                         「硝子戸の中」
                                                                           夏目漱石

 リッツカールトン
 Re: 連絡船は十時
 眼と目と芽と獏

Ⅶ  扉  裏    しかし、炎に包まれる前に、端まで燃えたキャンバス地がめくれ上がり、少女とトカゲの絵の下に張られ
                ていたもう一枚の絵が見えた。巨大なトカゲと、小さな少女──一秒の何分の一かの時間、彼はルネ・ダー
                ルマンが守り、逃亡の際に持っていこうとしていた絵を見た。それからキャンバスは明るく燃えてしまった。
                                                                        「少女とトカゲ」
                                                                   ベルンハルト・シュリンク

 虹蔵不見

Ⅷ  扉  裏   キブツを逃げ出して大学にはいり、数学を五年間勉強し、難関の卒業試験も突破した。卒論に手間どっ
               ているが、それだってたまたまのことだ。
               ぼくがこれまでに手にいれたものを、誰にも持っていかせはしない。
               怠惰のせいで──それに懸念をはさむ余地はないが──ぼくはいまだに彼女に恋心を抱いている。顔の
               輪郭もおぼろで、背丈、目の色、声色を思い出すのにしばらくああだこうだと自分とやりあわなくてはい 
               けないほどなのに。
                                                                『エルサレムの秋』 
                                                           アアブハム・B・イェホシュア  
 
 ユダのための福音書



Ⅹ  扉  裏   心情や物事は決着がつく方が稀で完全で最終的な決着がつくことを奇跡という それは自力で引き寄せるこ
               とはできない ある日突然訪れる 歪んで見逃さないように 悲しむのも忘れるのも自然でいなさい
                                                                金剛大慈悲晶地蔵菩薩
                                                           (市川春子「宝石の無国」第六巻)

  Save? Continue?
 冷たい高原
 至 空港
 暖かさと恐ろしさについて
 この林を抜けると花の名を一つ覚えている
 清澄白河
 いつか坂の多い街で暮らしましょう

煩を厭わず書き出してみた。
前の本と同様に、「扉」裏に書き出される詩句散文などは、著者の読書の遍歴とも言え、極めて「ブッキッシュ」で、私の好きなスタイルである。
Ⅴ の章は短い散文詩が二篇載せられている。これだけが文体は口語だが、「歴史的かなづかい」になっている。前の歌集でもあったが、著者は色々の試みをやってみたいらしい。

私なんかは「自由詩」から出発したので何の違和感もないが、短歌形式に固執する人は違和感を持つかも知れないが、そういう人には、もっと自由な発想を持って、と言いたい。

       千夜も一夜も越えていくから、砂漠から獏を曳き連れあなたの川へ

自選の中の、この歌から題名が採られている。古典である『千夜一夜物語』から、この歌が作られたのは、確かだろう。
獏(ばく)は、中国から日本へ伝わった伝説の生物。
人の夢を喰って生きると言われるが、この場合の夢は将来の希望の意味ではなくレム睡眠中にみる夢である。
悪夢を見た後に「(この夢を)獏にあげます」と唱えると同じ悪夢を二度と見ずにすむという。
著者は扉裏にも引くように「漢語」が好きである。だから「獏」が引かれているのだが、想像上の動物だから、中東には現実には、獏は居ない。

また Ⅲの章なんかは、関ケ原の合戦の小早川秀秋などの連作の形を取ったもので「物語詩」を作ってみせた、と言えよう。
ここには全部を引ききれないが、先に、細かい字で申し訳ないが書き抜いた部分を見てもらいたい。
「叙事」と「抒情」の取り合わせ──総合ということである。彼は「引用」と「短歌」で統合しよう、としたのである。読者は、その努力を汲み取らなければならない。
例えば、大谷吉継は、癩病、今でいうハンセン病に冒されて顔が見にくく変形していたのを頭巾で隠して奮闘した悲劇の猛将だった。その彼が詠んだのが
    契りあらば六の巷に待てしばし遅れ先立つことはありとも
の歌である。
さりげなく、それを引用することで「関ケ原合戦」での西軍の悲哀を描出してみせた。それが「金吾中納言」の項のエッセンスである。

またⅧの章
「ユダの福音書」にまつわる連作もある。極めてきらびやか、である。

ここで私の第四歌集『嬬恋』出版記念会を2003年に東京で開いてもらった時の三井修の批評の一部を少し長いが抜書きしておく。

<学生時代からアラブにかかわって来た中で、いろいろの問題を抱えた異質なイスラエルという国─イスラエルの国策会社である航空機製造会社の対日総代理店を取ろうと思って働きかけて、イスラエル入国・出国の記録の痕跡を残すとアラブ圏に戻れないので苦労して出入りしていたから、会社生活の中で一番思い出深いのが、イスラエルである。そんなことで「ダビデの星」の章には関心を持って読んだ。
木村さんの歌集を読んで一番感じたことは、叙事的なことを短歌で詠うことの難しさということだ。 私も両親が韓国に居たことがあるので、会社をやめてから韓国に行って、たとえば旧朝鮮総督府の建物の前に立って短歌にしようとしたが57577という短歌にならない。そこでやむなく「長歌」にした。つまり、短歌には短歌でしか詠えない分野があり、散文には散文に適した分野がある。
短歌という詩形は、作者の心の中を詠うには適しているが、物事を記録するとか、情報を伝えることは不得手だということである。
「ダビデの星」辺りのくだりは、叙事的なことを詠う、説明するという個所に無理がある。その辺の難しさは、作者の木村さん自身も、よく判っていて「あとがき」の中で「歌で表現できることには限界があるので、それを散文で補いたいという意図である」と書かれていて、なるほどと思った。今の複雑なイスラエルのような状況を説明するには短歌だけでは出来ない。だから木村さんの苦しい妥協だったと思う。
それなら最初から全部を散文にしたらどうか、と言われそうだが、そこが、われわれ歌詠みの悲しさで、短歌の形で何とか表現したい、という気持ちがあるので、よく判る。
作品としては、「ダビデの星」は余り成功しているとは言えないが、叙事的なことを短歌で詠うことの、一つの問題を提起した、と言える。
この一連の中で一首あげるとすると、  P170の
      何と明るい祈りのあとの雨の彩、千年後ま昼の樹下に目覚めむ 
を挙げたい。これは説明に終わっていない。作者自身の気持ちが詠われている。>  閑話休題。

キリストはユダヤ教徒だった。ベツレヘムで生れ、ナザレで育ち、ガリラヤ湖で数々の説教と奇跡を起こし、民衆の支持を集めつつあった。ヤダヤ教の律法学者はイエスの説く教義が律法をないがしろにするものと捉えた。それはイエスが自分を「神の子」と称したからである。イエスの力を脅威と感じ、ローマ総督ピラトから死刑の宣告をさせ、十字架磔刑へと導いたのである。
そういう一連のことがⅧの「ユダのための福音書」の章に描かれているのである。著者はキリストの死を「ユダ」の側面から取り上げてみせた。

自選の歌の中で
       すさまじい愛の言葉は憎しみに見える角度を持つかたつむり

が出ているが、この歌ひとつでは何のことか分からないが、この歌に添えられた詞書は、
<「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」(マルコによる福音書十四、二十一) >
と書かれている。
これと一体として読まないと、万全の理解は届かないだろう。
この章の末尾は
        岸へ来い。死海は死んだ海なのに千年ぶりに雨が降ってる
で終わっている。

私の言いたいのは、「叙事」の難しさ、ということである。
この本で著者は、それを「詞書」や「引用」で補おうとした。

Ⅹ の章 には先に抜書きしたような項目だが、その中にあるのが東京都江東区にある「清澄白河」という地名。
東京の下町である一方で、"珈琲の街"や"カフェの街"などと呼ばれ、おしゃれな街としても有名な人気エリアらしい。
清澄白河駅は、都営地下鉄大江戸線と、東京メトロ半蔵門線が通っており、毎日多くの人が利用する接続駅でもある。
清澄白河駅の目の前にあるのが「小名木川」いまは散歩コースとして勧められてるらしいが、元はといえば人工の用水路だった。
西に行くと隅田川、東に行くと荒川につながっている川で、大江戸にするための物資の運搬路として掘削されたところ。「たくさんのおしゃれな橋が架かっているんです」と言われて驚く。
1590年頃、江戸城を居城に定めた徳川家康は、兵糧としての塩の確保のため行徳塩田(現在の千葉県行徳)に目を付けた。しかし行徳から江戸湊(当時は日比谷入江付近)までの江戸湾(東京湾)北部は当時、砂州や浅瀬が広がり船がしばしば座礁するため、大きく沖合を迂回するしかなかった(また、沖合を迂回した場合でも、風向きによっては湾内の強い風波を受け船が沈むことも起き、安全とは言えなかった)。そこで小名木四郎兵衛に命じて、行徳までの運河を開削させたのが始まりである。運河の開削によって、安全に塩を運べるようになり、かつ経路が大幅に短縮された。
運河の名は開削者の「小名木」に因むのである。 閑話休題。
それは、さておき、この場所が著者らに所縁(ゆかり)の場所らしい。
      飲み干せばペットボトルは透きとおる塔として秋、窓際に立つ
の歌を始めとして17首の歌が並んでいる。「地名」の喚起力というものがあるから、それは確かだろう。

さて、この本一巻を通じて、縷々描かれてきたことは何なのか。

つまり著者の読書遍歴にまつわるところから、盛りだくさんのストーリーを紡いでみせているが、全体として通底しているのは「ぼくたちの恋」を描出したかったのではないか。
その恋が成就するかどうか、は判らないが、この本の本流として、一貫して流れていると思うのである。


      梨の花 あなたとなまでするたびに蠟紙のように心を畳む
      喉の痛みをうつしてしまい遅い朝あなたのための鮭粥を炊く
      ぬるい雨の夜にあなたと手を指をパズルのように絡めたことを
      僕たちは駅になりたい何度でも夏とか罰の過ぎてくような
      あなたが静かな力を入れて板チョコの少し震えて破片になった
      湖でいたり熊でいたりして輪郭が心に追いついていない、あなた

千種創一については前歌集『砂丘律』については2016年に書いた。← リンクになっているので読んでみてください。

「あとがき」で著者は書く。
<本書は、二十七歳から三十一歳までに詠んだ三六二首を納めている。編年体ではない。
 ここ数年、短歌から離れようとした、すると濁流、のような感情に苦しくなって、詩や翻訳にしがみついた、そしてまた短歌へ流れ着いてしまった。
 本の一行一行は弱々しい藁かもしれない、でも何かの本のどこかの一行が、あなたが濁流の中で手を伸ばす藁になることもある、この本の一行一行にもそういう祈りを込めたつもりだ。>
二〇二〇年四月七日 水の聴こえる街にて   千種 創一

上に引いた自選歌に、この本の要約が尽きていると思うが、私の目に止まった歌を抽出して終わりたい。

     ■告げないという狡(かしこ)さを恥じながらピザを切ってる円い刃で
     ■弱さゆえ愛されること/窓側の書架にかすかな傾きがある
     ■忘れないでね/窓から河が見えている/ふたりは霧に隠れてしまう
     ■花氷という概念ひからせて雨季の終りを抱き合っている
     ■あなたの手にふれたいというかわせみにどの感情の名を与えよう
     ■飛行機はどこで眠るの そのあとの花火をあなたは水に落とした
     ■ピスタチオの殻を割るとき淡緑の何故だ、かなしみ繰り返すのは
     ■ローマ貨の冷えをユダヤ貨に替えて愛わからないまま秋の街
     ■死ぬことで完全となる 砂嵐に目を閉じている驢馬の一頭
     ■一枚の金貨のようにガリラヤの湖の夕、遠のいていく
     ■岸へ来い。死海は死んだ海なのに千年ぶりに雨が降ってる
     ■永久に会話体には追いつけないけれど口語は神々の亀 
     ■鉄橋の軋みは鯨の声に似て、あなたはくじらをみましたか、見ましょ
     ■胸にあなたが耳あててくる。校庭のおおくすのきになった気分だ
     ■紙辞書を扉のように閉じたときあなたの震えと寝惚けと二度寝    
     ■エクレアの包をひらく潮風も希望もそこに乱反射して


知覚ゲームのような、脳がトレーニングを受けるような心地よい一巻を見せていただいた。
「短歌」というより、私は「短詩」として面白く拝見した。
また、ゆっくりと再読して、追記するかも知れないことを書いておく。有難うございました。      (完)





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