
ほのぼのとくれなゐ淡き冬薔薇に
そそのかさるる恋よあれかし・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
この歌の前後に
冬薔薇を剪(き)るためらひは何事ぞ貴きものを奪ふここちす
言へばわが心さびしもしろたへに薔薇咲き初めて冬に入りたり
などの歌が載っているが、いずれも、四季咲きの薔薇のうち、初冬に咲く薔薇の命の貴重さを詠っている。

近代バラの代表格である大輪四季咲きは、暖地では12月まで咲きつづく。
この冬バラは比較的寒さには強く、霜いたみすることもないが、剪ればもう咲いてくれない、という儚さがある。
露にしっとりと濡れた冬バラを切るときは、この地上の最も貴いものを奪うという思いのためらいがあるのである。
これらの歌は、そういう気分を表現している。
もちろん、この露地栽培のものに拘らず、温室栽培のものは季節を問わず出荷されていて、それも冬バラには相違はないが、冬薔薇(そうび)の持つ風情には及ばない。
バラと言えば思い出すのは、オランダの花の取り扱い会社「東インド会社」だが、数年前にオランダ、ベルギー、ルクセンブルクの、いわゆるベネルックス三ケ国を歴遊した際に、この会社からオランダ直送の「カサブランカ」という百合を家に留守する妻と、妻と私との共通の女の友に送ってもらった。黙っていたので、妻も友人も驚いていたが、いい花で喜んでもらった。
その後、何回かバラを直送してもらってプレゼントしたことがあった。
妻亡き今となっては、いい思い出になってしまった。

以下、冬薔薇を詠んだ句を引いて終る。薔薇は「そうび」と音読することもあるので一言。
尼僧は剪る冬のさうびをただ一輪・・・・・・・・山口青邨
冬ばらの蕾の日数重ねをり・・・・・・・・星野立子
ケロイド無く聖母美し冬薔薇・・・・・・・・阿波野青畝
しろたへに鵜匠の門の冬薔薇・・・・・・・・石原八束
冬薔薇日の金色を分ちくるる・・・・・・・・細見綾子
冬薔薇やわが掌が握るわが生涯・・・・・・・・野沢節子
冬薔薇の花弁の渇き神学校・・・・・・・・上田五千石
山国のわづかにひらく霜の薔薇・・・・・・・・福田甲子雄
四季咲きの薔薇の小さき冬の色・・・・・・・・今井千鶴子
冬薔薇咲きためらひて十日ほど・・・・・・・・木村有恒
冬薔薇一輪にしてまくれなゐ・・・・・・・・吉田悠紀
火の色に冬薔薇凍てし爆心地・・・・・・・・山田春生
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