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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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これを聴くと勇気が出ると「フィンランディア」を聴いて妻は手術へ・・・木村草弥
嬬恋

800px-Sibelius-puolisot_kesäiltana_kasvitarhan_penkillä,_1940-1945,_(d2005_167_6_101)_Suomen_valokuvataiteen_museoベリウスと妻アイノ
 ↑ ヤルヴエバーでのシベリウスと妻アイノ 1940年代はじめ (Wikipediaより)

──草弥の<非>季節の詩歌──

      これを聴くと勇気が出ると「フィンランディア」
                を聴いて妻は手術へ・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)の巻末に近い「妻のメモ」という一連に載るものである。
この本の「あとがき」に私は、こう書いている。
<今回の歌集の期間は四年間だが、私的には激動の時だっと言える。
 第一には妻・弥生が二年つづけて大病をしたこと。二〇〇〇年八月には心臓の感動脈バイパス四本の九時間にわたる大手術をした。・・・・・>
心臓の冠動脈は、狭窄の場所によっては急性の心筋梗塞を起こして命を落とすことになる。
普通はステントを入れて狭窄を広げる措置がとられるのだが、場所によっては、それが不可能な場合がある。
そんな時にはバイパス手術が必要になる。妻の場合は、それだった。
先ず、そんなことを詠んだ当該箇所の一連を引いておく。

          妻のメモ      木村草弥

     これを聴くと勇気が出ると「フィンランディア」を聴いて妻は手術へ

     妻の手帖に遺書メモあり「あちこち連れてもらつて有難う」と

     妻のメモ「今しばらくあなたの世話をしたいと思つてゐました」

     数々の危険の可能性を挙げたインフォームド・コンセントの所為(せゐ)だ

     手術中──かういふ時しか血族が顔をそろへることがない控室

     九時間の手術に耐へ妻は冠動脈バイパス四本をつないだ

     お互ひに待つてゐる人があることの幸せ支へ合つて生きようね

     「弥いちやん」と妻を愛称で呼ぶこともなくなつたかな、ふと思ひ出す

     生き死にの病を超えて今あると妻言ひにけり、凭れてよいぞ

     水にじむごとく夜が来て燃ゆるてふスノーフレーク白き花なり

     ムスカリの傍(かたへ)に置ける愛の詩集湖(うみ)より吹ける風はむらさき

煩を厭わず全文を書き出してみた。
妻が手術を受けたのは、当地、南山城地方では一応、基幹病院として知られる病床500床ほどのところだったが、心臓バイパス手術をするには一旦心臓を切り離してやる。
その間は別の機械で血液を循環させ、呼吸も人工心肺で行うのである。バイパスが繋がれば、止めてある心臓に電気ショックを与えて、動かすのである。
私の親友が受けた最新鋭の国立循環器病研究センターなんかは心臓を動かしたまま手術するらしい。

私の歌の一連に詳しく出ているので、事情は判明するから繰り返さないが、そういうことである。
九時間もの間、待っている間に妻の病室の枕頭机の引き出しを開けてみたら、妻が日記にしている手帖が出てきたという訳である。
これを見た私は、思わず「泣いた」。妻の心情を思うと涙が出て仕方がなかった。妻は死を覚悟したのだろう。
甘い、と思われるかも知れないが、敢えて私は、すべてを甘受する。 まあ、そういうことである。
妻亡き今となっては、これも強烈な思い出として、私の身につきまとわっている。

シベリウスの「フィンランディア」のYou-Tubeもネット上で聴けるので聴いてみてもらいたい。 → 「フィンランディア」
『フィンランディア』 (Finlandia) 作品26 は、フィンランドの作曲家ジャン・シベリウスによって作曲された交響詩。
シベリウスの作品の中でもっとも知名度が高いもののひとつである。1899年に作曲され、1900年に改訂された。

『フィンランディア』が作曲された1899年当時、フィンランド大公国は帝政ロシアの圧政に苦しめられており、独立運動が起こっていた。
シベリウスが作曲した当初の曲名は「フィンランドは目覚める」 (Suomi herää) で、新聞社主催の歴史劇の伴奏音楽を8曲からなる管弦楽組曲とし、その最終曲を改稿して独立させたものであった。
フィンランドへの愛国心を沸き起こすとして、帝政ロシア政府がこの曲を演奏禁止処分にしたのは有名な話である。初演は1900年7月2日、ヘルシンキで行われた。
フィンランドは北欧の小国だが、帝政ロシア時代に属国としてロシアに支配されていた時期があり、その抵抗の曲が、これである。
チェコのスメタナの「わが祖国」と同様の扱いのものである。
音楽好きで、大学の時は聖歌隊として、後にはコーラスの一員として歌っていた亡妻の思い出の一端として敢えて載せておく。

二番目に掲出した写真のことで付記しておく。 (Wikipediaより引用)
1957年9月20日の夜、シベリウスはアイノラにて91年の生涯を閉じた。死因は脳内出血だった。
彼が息を引き取ったその時、マルコム・サージェントの指揮による彼の交響曲第5番がヘルシンキからラジオ放送された。
また時を同じくして開催されていた国連総会では、議長でニュージーランド代表のレスリー・マンローが黙祷を呼びかけ、こう語りかけた。
「シベリウスはこの全世界の一部でした。音楽を通して彼は全人類の暮らしを豊かなものにしてくれたのです。」
同じ日にはやはり著名なフィンランドの作曲家だったヘイノ・カスキが永眠しているが、彼の死はシベリウスの訃報の陰に隠れてしまった。
シベリウスは国葬によって葬られ、アイノラの庭へと埋葬された。
妻アイノ・シベリウスはその後12年間を同じ家で暮らし、1969年6月8日に97歳で夫の後を追った。彼女も夫の側に眠っている。



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