K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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石川達三『生きてゐる兵隊』衝撃だつた 書棚の本の赤茶けたページ・・・・・・・・・・・・・木村草弥
生きている兵隊

──新・読書ノート・・・初出Doblog2005/09/12──

  石川達三『生きてゐる兵隊』衝撃(ショック)だつた
   書棚の本の赤茶けたページ・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。

この石川達三の小説は昭和13年に書かれたが、当時は事前に「検閲」という制度があり、それに引っかかって「発禁」処分を受けて日の目を見なかったものである。
掲出した写真の本は戦後の昭和23年に八雲書店から発行されたものである。

このような事情で戦後に発刊された本を私は読んだのだった。少年の私にとって、この本はまさに「目からウロコ」の衝撃の本だった。
この本の「序」文で、彼は書いている。

・・・・・此の作品が原文のままで刊行される日があらうとは私は考へて居なかつた。筆禍を蒙つて以来、原稿は証拠書類として裁判所に押収せられ、今春の戦災で恐らくは裁判所と共に焼失してしまつたであらう。到るところに削除の赤インキの入つた紙屑のやうな初校刷を中央公論社から貰ひ受け、爾来七年半、深く筐底に秘してゐた。誰にも見せることのできない作品であつたが、作者としては忘れ難い生涯の記念であつた。原稿は昭和十三年二月一日から書きはじめ、紀元節の未明に脱稿した。この十日間は文字通り夜の目も寝ずに、眼のさめてゐる間は机に坐りつづけて三百三十枚を書き終つた。・・・・・
・・・・・第一審の検事はその論告のなかで、(この種犯罪の中に於ける最も悪質なるものであり、最も重く処刑すべし)と言つた。私はこの論告に憤然として(この種犯罪の中に於ける最も良質なるものと確信する)と裁判長に向つて言つた。・・・・・
・・・・・第二審の判決は一審と同じであつた。私は三年の執行猶予を与へられた。・・・・・
・・・・・有罪の理由として判決書に記載されてゐる(皇軍兵士の非戦闘員殺戮、掠奪、軍紀弛緩の状況を記述したる安寧秩序を紊乱する事項)といふ点は私の作品を俟たずして世界にむかつて明白にされつつあり、・・・・・(「生きてゐる兵隊」初版の序、昭和21年)

「選集刊行に際して」と、この本に彼は書いている。
・・・・・私は南京の戦場に向ふとき、できるだけ将校や軍の首脳部には会ふまいといふ方針をもつて出発した。そして予定通り下士官や兵のなかで寝とまりし、彼等の雑談や放言に耳を傾け、彼等の日常を細かく知つた。将校は外部の人間に対して嘘ばかり言ふ、見せかけの言葉を語り体裁をつくろふ。私は戦場の真実を見ようと考へて兵士の中にはいつた。その結果として書かれたものは、軍部と同じやうに見せかけや体裁を重んずる特高警察と裁判所の忌諱にふれた。・・・・・特高警察とは縁が切れなかつた。終戦の三四日前にも警視庁に呼ばれてまる二日の取調べを受けたものであつた。調べ室は、重要書類焼却の煙で白くなつてゐる時であつた。・・・・・(昭和22年9月)

小説の本文の引用はしないが、今までに引用してきた彼の序文などで明らかだろう。
今日、新しい歴史教科書の執筆者などが、南京事件がなかったかの如き記述をするが、事実の瑣末な間違いはあるとしても、大きな虐殺などの「流れ」は明白な事実なのである。瑣末な、末梢的なことで本質を歪めてはならないだろう。
いま問題になっている「靖国神社」なども就遊館の「説明文」を読み取れば、これらの記述が軍国主義そのものであることを知ることが出来る、のにである。
あなたが、「軍国主義」を是認するというのなら、何をか言わんやである。
「真実は勝つ」というのが、すべてに勝るのである。戦争を知らない若い世代の人たちには、声を大にして申し上げたい。真実を知って、本質に迫ってほしい。


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