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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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大高翔句集『キリトリセン』・・・・・・・・・・・・・木村草弥
キリトリセン

 ──新・読書ノート──

  大高翔句集『キリトリセン』・・・・・・・・・木村草弥

大高翔については、このリンクをご覧いただきたい。ここから彼女のHPにアクセスできる。
略歴は、先に『17文字の孤独』のところで書いたが、母は「藍花俳句会」主宰・谷中隆子。

この句集は大高翔の第三句集になる。(求龍堂2007年4月刊)収録句は62句にすぎないが、本作りは大変凝ったもので、句の他に彼女の文がそれぞれ入っている。
アートディレクション=八木義博(電通)、プランニングとコピー=筒井晴子(電通)、デザインと小道具=辻井宏之(CPU)、撮影と料理=市橋織江、というスタッフの名前が明記してある。こんな本作りは句集、歌集には珍しい。

第二句集までは「新かなづかい」で作られていたが、この本から作者は「歴史的かなづかい(旧かな)」を採用している。母親が俳句結社の主宰者ということもあり、若いけれども句歴も長いので、主義として旧かな採用となったらしい。私も旧かなを歌作りには採っているので、それも判らなくはない。つまり、俳句という長い「伝統」に繋がろう、という決意の表明である。

この句集の「プロローグ」に当る巻頭に、こんな言葉がある。

<わたしの内と外に風景があり、
 それは、今のわたしが、今の季節にしか、出会えないもの。
 だから、
 その風景を切り取ってしまいたくなる。一瞬を、自分の大きさに、切り取ってしまいたくなる。
 だって、それは、わたしのかけら。こんな短い言葉のなかで、思いは自由になる。
 自由になって、羽ばたこうとする。 そう、あなたのもとへ。>

並みの句集のように句の羅列を見せるだけでなく、こういう「文章」というか「コピー」というか、を抱き合わせで載せる、というのも新しい、若さの特権の表白であろう。
私などは、「お喋り」の人間なので、こういう試みには大賛成であり、興味をそそられる。私も第四歌集『嬬恋』で試みた。
では、私の選んだ句──数は多いのだが──を引いてみる。

 息ひそめても揺れてゐる春の燭

 黒髪のにほひとも思ふ秋薔薇(そうび)

 君は私の舟だつたのに秋麗

 髪解きて秋思こぼるる洗面器

 革命やいま黄落のすさまじき

 戻るすべ知らず黄落踏んでゆく

 秋宵のいま光りだす塔のなか

 天辺はさみしきところ秋の星

 セーターをくぐる両手が宙を突く

 風船揺れさみしくないといへばうそ

 藤棚の真昼間吾を幽閉す

 踏青や愛されてゐるかもしれず

 ゼリー掬へばぷるんと応ふ街若葉

 きらきらと一粒の嘘片かげり

 逢ふことも過失のひとつ薄暑光

 炭酸水千の光をとぢこめる

 跣足ならふるさとの海にゆるされる

 夏蝶の二頭の別れゆく高さ

 夏怒涛ひとりでゆけるところまで

 何かしら昼寝のなかに置いてきし

 繚乱の薔薇の香りの行き止まり

 薔薇の香に吾より痩せて吾の影
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薔薇の季は「夏」である。 この二句には、作者のこんなコメントがある。

<満たされると、どこかが軋む。
 強く抱きしめられたときのような、甘い息苦しさ。
 満たされることは、縛られることに似ている。>

 光りつつ来たるべき恋待つ林檎

 秋の旅船首を高く我等ゆく

 秋水にかのひとの影揺れやすき

 水を恋ひ人を恋ひたる秋の蝶

 驟雨来るこの沈黙に耐へきれず

 言の葉をさらつてしまふ驟雨かな

 秋刀魚焼くいつしか君の妻となり
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いつの日かは知らぬが、彼女は結婚して「妻」となったのである。
そして、次の句のように妊娠して「母」となる日がやってきたのである。
この句には、次のような彼女のコメントがある。 一緒に鑑賞されたい。

 母となる吾母とゐて冬隣

<信じられないけど、わたしも、母のお腹のなかにいた。
 信じられないけど、わたしも、母になる。
 あたたかで、おだやかで、きっと特別な、冬はすぐそこ。>

 かじかんだ手で真つ白の封を切る

 啓蟄やきりきり結ぶ朝の髪

 菜の花に吾がつまさきを見失ふ

 春雪や産み月の身のうすくれなゐ

 産みをへしことやすなはち花疲れ

 朝桜吾子は零歳零カ月

 春暁の美しき眠りのつづきかな

 名を呼んで子を振り向かす花の昼

 白木蓮むすんでひらいて吾子一歳

 「はいどうぞ」しろつめくさといしころと

 折り紙のピアノかたむく花ぐもり
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齢を経るとともに、人の感性も変化する。だから、若いときには若い句や歌を作っておくことである。
年とったときには、年とった句や歌しか作れない。年とってから若いときを詠っても、それは「回想」のものになってしまって、人の感動を呼ばなくなる。
上に引いた彼女の句は、たとえば

  <「はいどうぞ」しろつめくさといしころと>

の句など、幼子とクローバーの草の上で遊んでいる風景を想像させて秀逸である。
この句が「ひらがな」ばかりで作られているのも、子供と対応していることを思わせて、的確である。
こういう神経の行き届いた作品作りをしたいものである。

彼女には、句集以外の著作にも『夢追い俳句紀行』があるが、手に入らなかった。『漱石さんの俳句─私の好きな五十選─』は入手したので、後日ブログに書く予定である。
 
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