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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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大高翔『漱石さんの俳句』─私の好きな五十選─・・・・・・・・木村草弥
漱石さんの俳句

──新・読書ノート──

  大高翔『漱石さんの俳句』─私の好きな五十選─・・・・・・・・・・・木村草弥 

この本は実業之日本社2006年12月刊のものである。これもネット古書店から買った。
タイトルにある通り、漱石の俳句から彼女の好きな句50を選び出し、鑑賞を加え、文末に彼女の句を添えたものである。漱石の俳句が全体で何句あるのか私は知らないが、年譜によると、夏目漱石は東京大学予備門(のちの一高)から正岡子規と同級であり、子規が死ぬまで深い友情で結ばれた二人だった。
この本の巻頭には彼らの写真や原稿の図版が載せられ、漱石が俳句の草稿を子規に送り、子規が添削や、○◎などの選をして送り返したのが、まざまざと見られる。
参考文献として『漱石全集第17巻 俳句・詩歌』坪内稔典注解(岩波書店)、『夏目漱石事典』平岡敏夫ほか編(勉誠出版)、『俳人漱石』坪内稔典(岩波書店)などの本が載っている。

漱石は明治28年に愛媛県尋常中学校(のちの松山中学)英語教師として松山に赴任。彼の下宿(愚陀仏庵)に転がり込んできた子規が毎晩のように開く句会に影響されて、漱石は俳句に熱中するようになる。
日清戦争に記者として従軍し結核で喀血するという病気の子規は故郷・松山に帰郷、50余日にわたって漱石の下宿に同居して、俳句の魅力を漱石に伝えたのち、子規は詩歌の革新を志して単身上京する。
漱石が松山から熊本の第五高等学校に移ったのちも、子規との間の俳句指導の句稿が残っている。
以下、この本に収録されている漱石の句を引いて見てみよう。
下記のうち <>内は、大高翔のオリジナルの文章の引用である。

 ★春雨や柳の下を濡れて行く
この句は親友にして俳句の師であった子規に送った手紙の中に記されているらしい。実は、その少し前に学友の菊池謙二郎に送った、漱石が軽い喀血をしたことを伝える手紙の中に「・・・柳の中を・・・」と出てくるらしい。この頃は結核が流行っていた様子が窺えるが、そういう喀血して傷心の漱石の心境が見えるようである。
彼女は書いていないが、歌舞伎の月形半平太の「春雨じゃ濡れて行こう」の台詞を漱石が踏まえているのは確かだろう。彼女は「寄り添う」女性とかを想像して書いているが、それは強引すぎるというものだろう。
文末には、彼女の句 「笹鳴や捨つべきものを捨つるのみ──翔」 が添えられている。

 ★弦音にほたりと落る椿かな
<この句、「ほたり」に参りました!
 椿の花の落ち方を「ほたり」と表現したところがすごい。
 ・・・「ほとり」では、湿っぽい気がするし、「ぽとり」や「ぱさり」では大げさでいただけない。
 「ほたり」ということばは、漱石さんオリジナルの新しい擬音語でありながら、不思議なくらい、
 耳なじみのいい響きをしている。・・・
 漱石さんの俳句をしってから、椿が落ちるのをみると、あっと思う。・・・椿の落ちる音があると
 したら、やっぱり、「ほたり」しかない、と。
 じゃあ、わたしも落椿の句を。  「触れずおく搦手門の落椿──翔」 >

 ★この夕野分に向て分れけり
この句は「子規を送る」と前書のついた五句の四句目に置かれている。彼女は、こう書く。
<実は、子規はすでに脊髄カリエスによる腰痛を抱えていたというから、文字どおり「決死の覚悟」で
 の旅立ちだ。
 松山の愚陀仏庵では一緒に生活し、「大将」とも呼びかけていた子規との親密さが窺える。
 別れていく友は、もう背中を見せている。愛すべき、遠ざかる後ろ姿に、漱石さんは、大声で呼び
 かけている・・・・そんな光景が目に浮かぶ。
 子規は、いつも自分の夢に前のめりで向かっていく。
 江戸っ子で、都会人の、そんな漱石が創作の道に足を踏み出すためには、子規のような、周囲を
 巻き込む野分のような人間に、背中を押してもらう必要があったのだろう。
 その子規との別れは、ひとり取り残されるような寂しさを、漱石さんに抱かせたのではなかろうか。
 ・・・明治という時代を背負ったものたちの宿命として、漱石さんもまた、新しい日本を担う役割を果た
 さなければならなくなる。ともあれ、このとき、偉大なふたりは各々の野分に向かって、別れることに
 なったのだった。 「夏蝶の二頭の別れゆく高さ──翔」 >

 ★長けれど何の糸瓜とさがりけり
<アハハハ、こりゃ可笑しい!
 漱石さんの明るいユーモアに満ちた傑作だ。・・・江戸っ子の漱石さんらしい、負けん気のある
 ユーモアだ。
 これも子規に送った句稿(その17)にある。
 もちろんこの句、子規の評点は「◎」だったそう。きっと、子規は、お腹の底から笑っただろうなぁ。
 「何の糸瓜」というのは、なんとも思わない、少しも価値がないという意味の「何の糸瓜の皮」という
 ことわざを意識しているのだといわれている。
 季語としての実物の「糸瓜」に、ことば遊びとしての「糸瓜」を重ね合わせているというわけだ。
 のちに漱石さんは『吾輩は猫である』のなかで、苦沙弥の家に集まってくる変人、暇人たちを
 「太平の逸民」と呼び、「糸瓜の如く風に吹かれて超然と澄し切って居る様なものの、其の実は
 矢張り娑婆気もあり、慾気もある」と書いている。だから、この句の糸瓜は「太平の逸民」をイメ
 -ジしていると考えられている。・・・つまり、漱石さんが憧れた「高等遊民」のことだ、ということに
 なるんだろう。 「水の意にあらがふことも花藻かな──翔」 >

彼女は、ここには書いていないが、「糸瓜」と言えば、子規の辞世の句というのがある。

 糸瓜咲て痰のつまりし仏かな

 痰一斗糸瓜の水も間にあはず

 をととひのへちまの水も取らざりき


この故事から子規の忌日を「糸瓜忌」と称するのであるから、子規が糸瓜に寄せる気持のただならぬことを考えれば、ここの鑑賞文に、この辞世の句などに触れるべきだったと思うが、いかが?

 ★本名は頓とわからず草の花
<これも子規に送った句稿(その35)にある句。子規は「○」をつけていないが、彼が執筆・編集して
 いた新聞「日本」に掲載されているところをみると、やはりおもしろいと思ったのだろう。
 しかし、漱石さんが子規に送った句稿は、この35が最後。漱石さんは、一年後にはいよいよ英国
 に向かって出発するのだ。五年にも及んだ、俳句の添削を通じての交流はこれで終り、間もなく
 漱石には運命の大転換が、子規には人生の最後がやってくる。そう考えると、漱石さんが自身の
 職場である学校の様子をユーモラスな俳句で子規に伝えたのは、病が重くなってきた子規を気づ
 かってのことだったとも思える。そんな句稿が最後になったなんて、ちょっとしんみりしちやったな・・・
 「誰彼に草の名問ふや鰯雲──翔」 >

 ★筒袖や秋の柩にしたがはず
 <子規が死んだ・・・・!遠からずその日がやってくるとは覚悟していたものの、遠き異国で、
 いざ訃報に接してみると、その悲しみはことばにならないほどに深い・・・・そんな漱石さんの心境
 を表すかのような、淡々とした詠みぶりが、逆に切ない。
 これは漱石さんが要請された子規への追悼文にかえて、虚子に宛てて送った「倫敦にて子規の
 訃を聞きて」という前書のある五句のうちのもの。
 「筒袖」とは洋服のこと。「筒袖」姿の日本人である自分。・・・日本を恋しがりながらも、親友の死も
 しらずにいた自分への責めの気持ち。・・・今よりはるかに遠い、イギリスと日本。異郷の地で悪化
 する神経衰弱と闘いながら苦学している漱石さんと、死の恐怖をいよいよ目の前にした子規との、
 どうしようもない距離。・・・
 「遠き国へ手紙を出しに十三夜──翔」 >

 ★秋立つや一巻の書の読み残し
<実は、この句は、前年に弟子入りした芥川龍之介に宛てた手紙のなかに記されているもの。
 「読み残し」には、まだなすべきことをやりとげていないという、残念な思いと同時に、できるところ
 まではやったという充足感の先の諦念、があるような気がする。
 この句を記した、約三ケ月後に、漱石さんは、49歳で亡くなった。
 漱石さん自身に、辞世の句だなんてつもりはなかった。けれど、この句には、そう遠くないかもしれ
 ない人生の終りを意識し、その後に思いを馳せたことで、漱石さんの一生が、十七音に凝縮された
 かのように思えてくる。自分がいなくなった後を託せると信じた、弟子・芥川龍之介への伝言は、
 半分は、遺言だったのだろうと思う。・・・完成していれば生涯の最高傑作となったことはまちがい
 ない『明暗』を、未完のままに遺して、漱石さんはパタリと逝く。執筆のために書斎に入り、そこで
 倒れたのだそうだ。
 そんな漱石さんの、清潔で気高い生涯をしめくくるのに、こんなに、ふさわしい句はない。>

以下、彼女のコメントなしで、この本に載る漱石の句を、いくつか引いておく。

 夕月や野川をわたる人はたれ

 奈良の春十二神将剥げ尽せり

 物草の太郎の上や揚雲雀

 海見えて行けども行けども菜畑哉

 端然と恋をして居る雛かな

 どこやらで我名よぶなり春の山

 永き日や欠伸うつして別れ行く

 ぬいで丸めて捨てて行くなり更衣

 仏壇に尻を向けたる団扇かな

 枕辺や星別れんとする晨

 君が名や硯に書いては洗ひ消す

 人に死し鶴に生れて冴返る

 菫程な小さき人に生れたし

 行く年や猫うづくまる膝の上

 馬の子と牛の子と居る野菊かな

 秋の川真白な石を拾ひけり

 日は落ちて海の底より暑かな

 引窓をからりと空の明け易き

 加茂にわたす橋の多さよ春の風

 二人して片足宛の清水かな

 吾影の吹かれて長き枯野哉

 二人して雛にかしづく楽しさよ

 生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉

 有る程の菊抛げ入れよ棺の中

 そぞろ歩きもはなだの裾や春の宵

 春の川を隔てて男女哉

 耳の穴掘つて貰ひぬ春の風
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以上で、この本の鑑賞を終る。
夏目漱石の句は、ユーモラスなところがあり、独特の趣を漂わせている。
私のブログにも何度か引いたが、この本で集中して読ませてもらって有難かった。
若いが、才気煥発な大高翔という人を得て、漱石を別な面から掘り下げられていて、面白かった。

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