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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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牧神の頭突きを春といふべけれ・・・・・・・・・・・磯貝碧蹄館
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牧神の頭突きを春といふべけれ・・・・・・・・・・・磯貝碧蹄館

画像は「牧神パーン」だが、このことについては、ここに貼ったリンクを読んでもらいたい。
この像は、<笛の演奏をエローメノスの羊飼いダフニスに教えるパーンの彫像>という。
牧神は、ニンフと一体として語られることが多い。
マラルメの象徴的な詩に「牧神の午後」というのがあり、この詩に触発されたドビュッシーの有名な曲「牧神の午後」がある。

この句の面白さは、「羊」というのは、よく仲間と争ったりするときに「頭突き」をしたりするので、そういう動作が「春」を誘い出した、と捉えたところにあるだろう。
また、この句は、上に書いたようなギリシア神話の牧神やニンフのことなどについても、よく知っていたことを窺わせている。
ところで、作者の磯貝碧蹄館という人だが、私は詳しいことは知らないので、ネット上から、下記のような「増殖する俳句歳時記」という面白い記事を引用しておく。
なお「碧蹄館」(へきていかん)という耳慣れない言葉だが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の頃(1591~)、明が援助に送った大軍を小早川隆景らが、漢城(今のソウル)北郊の碧蹄館で破っている、という故事がある。どうも、このペンネームは、そこから採られているらしい。

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磯貝碧蹄館

ジーパンをはき半処女や秋刀魚焼く

半処女という造語(?)が絶妙にして秀逸。いまどきの娘はみなそういうものです。作者は元郵便局員として有名。俳号の奇妙さでも有名。韓国の古戦場にちなんだ名というが、本当かしらん。(井川博年)
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July 022003

磯貝碧蹄館

夜間飛行機子と七月の湯屋を出て

昼間の汗を流して、さっぱりした気分で「湯屋(ゆや・風呂屋)」を出た。おそらく「子」が見つけたのだろう。指さす方向を見やると、小さな赤い灯を曳きながら、音もなく「夜間飛行機」が飛んでいる。しばし、立ち止まって眺めている親と子。七月の夜の涼風が心地よい。風呂帰りの句は数あるが、月や星ではなく飛行機をもってきたところに、新しい涼味が感じられる。もっとも新しいとは言っても、作句年は不明なれど、現代の句ではない。まだ夜間飛行がとても珍しく、ロマンチックな対象として映画や小説、詩歌などに盛んに登場した時代の句だと思う。したがって、飛んでいるのはジェット機ではなくプロペラ機だ。いまどきのジェット機では、風物詩というわけにはまいらない。ところで飛行機の話だから話は飛ぶ(笑)が、地上からは一見悠々と飛行しているようには見えても、夜のパイロットはいまでも大変のようだ。風呂上がりのさっぱり気分どころか、緊張で脂汗を滲ませての飛行である。日本航空機操縦士協会(JAPA)のHPを見ると、自家用機から商用機にいたるまで、夜間飛行の危険に対する共通の注意事項が縷々指摘されている。私にもわかる項目のいくつかを抜き書きしておくと、次のようだ。(1)夜間の離着陸は、飛行場灯火のながれを見て速度を判断するが昼間の速度感覚よりも遅く感じられる。(2)夜間飛行中に空間識失調に陥った場合には回復が困難。(3)緊急事態になった場合に、夜間の不時着は困難。(4)乱気流に入った場合には、その揺れは強く感じられて、不安感も大きい。(5)夕暮れに着陸するときには、上空はまだ明るくても地上は早く暗くなっている。(6)電気系統が故障した場合には緊急事態につながる、等々。私などはこれに高所恐怖症も加わるから、一挙に湯冷めしそうな恐ろしい世界に感じられる。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)
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November 022007

磯貝碧蹄館

ロボットの腋より火花野分立つ

句集『未哭微笑』(みこくみしょう)の中の作者の近作。鉄人28号や鉄腕アトム(かなり古いけど)のような人の形をしたロボットを思い浮かべてもいいし、工場で何かの加工や組立に用いられている複雑な形の機械ロボットでもいい、自動的に動く機械のはざまから火花が出て用途に具するわけである。外は台風の兆がある。現代と自然との力技の調和が感じられる。これまでの情緒とすればミスマッチ。しかし、旧情緒と現実の風景がぶつかれば、必ずそこに違和感が生じる。そこからの造型や新ロマンの構築が見せ場。ミスマッチをマッチにする作者の力が問われる場面である。作者は一九二四年生まれ。この世代、多くは戦後に「社会性」や「職場俳句」の洗礼を受け「前衛」に若き情熱を燃やすが、時代の変遷とともに、花鳥諷詠か、それもどきに転ずる。もちろん最初から花鳥諷詠一徹の方もいる。どちらにしても加齢とともに、季題中心、自然諷詠中心の「やすらぎ」にからめとられていくわけである。肉体と精神のエネルギーが失われ、「自己」を俳句に乗せるのがシンドくなったとき、「楽になろうよ」と花鳥諷詠がポンと肩をたたく。その手を振り切って「今の自己」を俳句に打ち付けて同時代の新しいポエジーに挑戦する。そういう作者のこういう句にこそ本物の詩人の魂が存する。『未哭微笑』(2007)所収。(今井 聖)
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November 202008

磯貝碧蹄館

林檎買ひくる妻わが街を拡大せり

謎は「拡大せり」の部分である。そのまま読めば林檎を買ってきた妻が自分が住んでいる街を大きくするのだろうが、いったいどんな具合なのだろう。魚眼レンズで覗いたように巨大な妻と林檎がいびつに大きく句の全面へ張り出してくるようだ。しかし、今までつまらなく見えていた街を拡大するのは「妻」だけでなく妻が抱えている「林檎」の鮮烈な色と香りなのだろう。林檎はいつだって暗い世相や街を明るくしてきた。戦後の荒廃した街には並木路子の「リンゴの唄」が流れ、うちひしがれた人々を力づけたというし、北原白秋の「君かへす朝の敷石さくさくと雪は林檎の香のごとく降れ」の短歌などは、林檎の香りを雪と結びつけたモダンな抒情を描き出している。くすんだ現実から別次元の世界へ拡大してくれるのが、赤くつやつやとした林檎の力と言えないだろうか。この句にはそんな林檎を抱えて自分の元へ帰ってきてくれた妻への賛歌とともに詠まれているように思う。『磯貝碧蹄館集』(1981)所収。(三宅やよい)
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January 012009

磯貝碧蹄館

賀状完配われ日輪に相対す

明けましておめでとうございます。家族そろってのお祝いが済んだあと、そろそろ年賀状が来ているかな、とポストを覗きに行く方も多いだろう。私が小さい頃、年賀状の束を取ってきて名前順に仕分けするのは子供の仕事だった。うちは総勢八人の大所帯だったので、兄と二人でせっせとより分けたものだった。小学校の頃は友達からくる年賀状の枚数が気がかりで、最初に自分の名前を見つけたときにはほっとした。今まではもらう側からばかり考えていたが、これは長年郵便配達を勤めた作者ならではの句。年賀状を待つ人々の元へ少しでも早く正確に届けようと、あふれんばかりの賀状を自転車に積んで暗いうちから働きだすのだろう。すっかり配り終えた充実感と仕事への誇りが「日輪に相対す(あいたいす)」という表現に感じられる。「賀状完配井戸から生きた水を呑む」の句も隣にある。今朝もそうやって働いてくれる人たちがいるからこそ賀状を手に取ることができる。今年一年、こんなふうに働く喜びを味わえる年でありますように。『磯貝碧蹄館集』(1981)所収。(三宅やよい)
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この作者の他の面白い句を少し追加したい。

 鯨吼ゆ夜を筆立てに筆の銛

 亀の甲羅と石棺わかつおぼろ月

 鳥貝と夜間金庫へ傘泳がす

 繰返す読経躑躅は血を溜むる

 檳榔樹と裸婦擦りかはる夏日かな

 少しづつ天へ着茣蓙と雲母虫

 素泊りの海酸漿を鳴らせとよ

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