

郵便夫ゴッホの麦の上をくる・・・・・・・・・・・・・菅原多つを
この句を見て、私はすぐに下記のようないきさつを思い出したので、貼り付けておく。
<渦巻ける髭と春くる郵便夫・・・・・・・・・・・・・高島征夫
この句は『獐』(一九九四年三月号)に載っているからその年の立春頃の作である。十年前(2004年現在)の作品ということになる。この句を一読、誰でも「ゴッホ」を連想するかもしれない。事実、「ゴッホの絵に、郵便配達夫ルーランがある。碧い鳥打帽をかぶって、青い服を着て正面を向く顔中髯だらけのような彼は、威厳すら感じられる。これを人は髯のルーランと呼んで親しんでいる。渦巻ける髯はゴッホの描く麦畑でもあり、糸杉でもある。髯の郵便夫が春を呼んでいるようでもある。」という撰評を師・高島茂から貰った。
出来上がったものはすでに作者の手を離れているから、こういうことを言うべきではないのだろうが、正直なところ、作者はこの時、それをまったく意識していなかったのである。
そういう意味で思い出の深い句となった。】
(自註:『獐』2004年4月号「150号記念特集」のための草稿より)>
高島氏亡き今となっては、懐かしい思い出になってしまったが、掲出した
郵便夫ゴッホの麦の上をくる・・・・・・・・・・・・・・菅原多つを
の作者としても、この絵の記憶があったのは確かだろう。
そう思ったので、「麦秋の麦畑」の下にゴツホの絵を出しておいた。
さて麦のことだが、私の辺りでは昔は米の「裏作」として秋に種を蒔いて麦を栽培していたが、今では全く作られなくなった。
「麦秋」と言う言葉は趣のあるもので秋蒔きの麦が初夏の頃に黄色く熟れるのを表現している。
あいにく日本では梅雨の頃に麦秋が訪れるので、雨の多い年などは大変である。
雨が多くて刈り取りが遅れると立った穂のまま湿気で発芽したりするのである。
以前に地方に出張していた頃は車窓から麦刈りの風景などが見られたものである。
九州などでは麦刈りの時期も早いので梅雨までには済んでいるようである。
私の歌にも麦を詠ったものがあり「・・・熟れ麦にほふ真昼なりけり」というようなものがあったと思って歌集の中を探してみたが、
なにぶん歌の数が多くて見つけられず、掲出の句にする。
麦にはいろいろの種類があり、用途によって品種改良がされてきた。
小麦粉にするのは「小麦」である。ご飯にまぜて食べるのは「裸麦」である。
ビール原料になるのは「大麦」で、専用のビール麦というのが開発されている。
因みに言うと「裸麦」は荒い石灰と一緒に混ぜて専用の臼で表面の固い殻を摺り落す。
その際に麦の割れ目の筋が褐色に残る。昔は、そのまま押し麦にして米飯と一緒に混ぜて炊いたが、今では、その筋に沿って縦にカットして米粒のような形に加工してあるから一見すると区別がつかないようになっている。
他に「ライ麦」や家畜の餌にする「燕麦」などがある。
むかし軍部はなやかなりし頃、「陸軍大演習」になると、私の辺りの農村も舞台になったが、空き地には軍馬が臨時の厩舎を作って囲われたが、馬に与えられた燕麦がこぼれて翌年に麦の芽が出て穂になったりしたものである。
参考までに言うと、馬に与える草などは地面に置いた餌箱に置かれるが、麦のような細かい粒のものは零れて無駄にならないように帆布のような厚い餌袋を耳から口にかけさせて食べさせるのである。馬は時々頭を跳ね上げて、袋の中の麦粒を口に入れようとするので、多少は辺りに飛び散るのだった。
以下、麦秋を詠った句を引いて終わる。
いくさよあるな麦生に金貨天降るとも・・・・・・・・中村草田男
麦熟れて夕真白き障子かな・・・・・・・・・中村汀女
一幅を懸け一穂の麦を活け・・・・・・・・田村木国
灯がさせば麦は夜半も朱きなり・・・・・・・・田中灯京
麦笛に暗がりの麦伸びにけり・・・・・・・・山根立鳥
少年のリズム麦生の錆び鉄路・・・・・・・・細見綾子
麦の穂やああ麦の穂や歩きたし・・・・・・・・徳永夏川女
褐色の麦褐色の赤児の声・・・・・・・・福田甲子雄
麦は穂に山山は日をつなぎあひ・・・・・・・・中田六郎
<<萩原朔美 『劇的な人生こそ真実』~私が逢った昭和の異才たち~・・・・・・・・・・・・・木村草弥 | ホーム | 川上未映子 『夏の入り口、模様の出口』・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥>>
| ホーム |