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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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 むずかしいことに/飽いて/どうしてもカンタンにしたい/すると/白いフェンスに/木槿のはなが咲いているのでした・・・・・・三井葉子
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       木槿のはな・・・・・・・・・・三井葉子

     むずかしいことに
     飽いて

     どうしてもカンタンにしたい

     では
     イチニのサン
     わたしたちは肉体のはずかしさを手で拭って
     拭っても
     また垂れている紐のくちをへの字にして
     東の角を曲がる

     すると
     白いフェンスに
     木槿のはなが咲いているのでした。
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この詩は、三井葉子詩集『草のような文字』(1998年5月深夜叢書社刊)に載るもの。

7/19付けで「ムクゲ」の記事を載せたときに

   ひらひらと逝きたまひしをむくげ咲く・・・・・・・・三井葉子

という三井さんの句を載せた。
この句は誰か判らないが「逝きたまひし」と尊敬語になっているので、親しい目上の人の死に際して作られたものだろう。
いま、たまたま開いてみた詩集の中に、この詩を見つけたので載せてみた。
三井さんの詩は、使われている言葉自体は何でもないのだが、「詩」としては、とても「難しい」と、よく言われる。
<非>日常である、詩句の典型であろう。
そこらに転がっている言葉を拾ってきて、<非>日常の詩句に仕立てる。
意味があるようで、無さそうで、それが三井さんの詩の特徴である。

例えば、この詩の 第二連の

   では
   イチニのサン

なんていうところが、それである。思いつきで付けられた詩句である。

「詩」は意味を辿ってはいけない。詩句に脈絡は無いのである。
詩人によって発想は、さまざまであり、詩句に起承転結のある人もあれば、「意味的」に辿れる人もある。私の詩などは、どちらかというと辿れる方である。
三井さんの場合は、「辿れない」典型であろう。だから、よく「難しい」と言われる所以である。
詩は、声に出して朗読してみるとよい。
この詩も短いから何度でも朗読できよう。
すると、この詩一編が、不思議な趣をもって立ち上がり、或る「まとまり」となって知覚できるだろう。
そうなれば「詩」の鑑賞として一歩近づけた、と言える。

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