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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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掃くは惜し掃かぬは憂しと緋椿の散り敷く径に思案をすべし・・・・・・・・木村草弥
t-syuzan周山椿
 
 掃くは惜し掃かぬは憂しと緋椿の
      散り敷く径(みち)に思案をすべし・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るもので、自選にも採っているのでWebのHPでも、ご覧いただける。
すでに、ご承知の方も居られると思うが、

 掃くは惜し掃かぬは憂しや落椿・・・・・・・・・・・・阿波野青畝

という作品があり、私の歌は、この句を踏まえたものである。
「本句取り」と申してもよいだろう。
この記事をご覧になった人からの指摘があり、ここに明記しておきたい。
この歌のつづきに

雲水の持つ箕の中は落椿この園の花五衰に入るか

という歌が載っている。この歌については2月23日付けで採り上げているのでご覧いただきたい。

今回は、そろそろ咲きはじめる「椿」を採り上げる。
椿には何百という栽培品種があるようだが、関西で産出された椿の写真を四つお目にかける。
トップ掲出の写真①は「周山」椿というもので、周山というのは京都市の北方にある町の名前である。そこで産出されたものだろう。

写真②は「谷風」という椿である。
t-tanikz谷風(関西)

写真③は「淡粧」という命名を持つピンク系の椿である。
t-tanso淡粧(関西)

椿と「さざんか」は同じツバキ科の木であり、この花は一見するとサザンカに似ているが、椿とサザンカの違いは、サザンカは花びらが、ばらばらと落ちるの対して、ツバキは萼の付け根から花全体がぽろりと一度に落ちる、という違いがある。
だから昔の武士は首が落ちると言ってツバキを嫌ったという。
ツバキの名前だが、それぞれ趣向を凝らしてつけてある。花と名前を比べて見られよ。
写真④は「百合椿」という命名である。
t-yuri百合椿(関西)

先に書いたように、ここに挙げる4点のツバキは、みな関西で産出されたものである。
④のものは花びらの形が独特である。唇を尖がらしたような特異な形をしている。
育種に携わる人は根気のある人なのだろう。たくさんのツバキの中から突然変異で出て来たものを品種固定することもあろうし、今ではバイオテクノロジーの技術を駆使することもあろうが、それにしても手間のかかることである。
写真⑤は「酒中花」という名前の「やぶ椿」である。
syucyuka00801やぶ椿

伝統的なやぶ椿の系統らしいが、縁取りに薄紅色の「ふくりん」というのかボカシが入っており、これが何だか酔っ払っているようで「酒中花」という名がついたようである。3/18付けのの石田波郷のところを見られたい。

豊臣秀吉の椿好きは有名で、
俳人では石田波郷も、椿を好んだと言われている。

 一つ咲く酒中花はわが恋椿・・・・・・・・・・・・・・石田波郷

この句から彼の句集『酒中花』の題名が採られている。

文芸では「万葉集」以来、詩歌に詠われてきた。「玉椿」はツバキの美称である。
「つらつら椿」は連なり生えた椿のことで「万葉集」巻1(歌番号54)につらつら椿の有名な歌がある。

巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲ばな巨勢の春野を・・・・・・・坂門人足

咲いている椿よりも「落ち椿」を文人は好んで詠った。掲出した私の歌なども「落ち椿」を詠んだものである。

 水入れて鉢に受けたる椿かな・・・・・・・・鬼貫

の古句なども、そういう詠みぶりのものである。

椿を詠んだ句は古来たいへん多いが、「落ち椿」を詠んだものを少し引いておく。

 落ちざまに虻を伏せたる椿かな・・・・・・・・・・夏目漱石

 はなびらの肉やはらかに落椿・・・・・・・・・・飯田蛇笏

 椿つなぐ子に父問へばウン死んだ・・・・・・・・・・渡辺水巴

 椿流るる行衛を遠くおもひけり・・・・・・・・・・杉田久女

 椿見る落ちよ落ちよと念じつつ・・・・・・・・・・相生垣瓜人

 愛すとき水面を椿寝て流る・・・・・・・・・・秋元不死男

 椿落つおろかにものを想ふとき・・・・・・・・・・稲垣きくの

 いま一つ椿落ちなば立去らん・・・・・・・・・・松本たかし

 落椿美しければひざまづく・・・・・・・・・・田畑美穂女

 落ちる時椿に肉の重さあり・・・・・・・・・・能村登四郎

 海女の村昼の男に椿満つ・・・・・・・・・・飯田龍太

 犇きて椿が椿落としけり・・・・・・・・・・岡本眸

 落椿われならば急流へ落つ・・・・・・・・・・鷹羽狩行

 椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ・・・・・・・・・・池田澄子

 神が来し海上の道岬椿・・・・・・・・・・本井英

 はいてもはいても女人禁制の庭椿・・・・・・・・・・仁平勝

 椿千われ白骨と化する日も・・・・・・・・・・永島靖子
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この私の歌と阿波野青畝の句の「下敷き」のことに触れたが、俳句、短歌の世界では「本句取り」「本歌取り」などと言われて古来やってきた習慣である。
世界的に見ても、西欧詩などでは、「引用」の明記、非明記にかかわらず、他人の作品の「フレーズ」を自分の作品の中に取り込むのは、常時やられていることである。これを「コラージュ」という。
「非明記」の場合でも、その「原句」を知っているひとは、「ははん、これは、あれだな」と思って、独りほくそ笑むというのが、読書人としての楽しみなのである。
一般的には「本句取り」というのは、引用句の終りから二番目の「仁平勝」の句のような場合を指すが、まあ、そこは硬いことは言わずに、何でもありでいいのではないか。
ただし俳句作者の場合は、私のやったような五、七という上の句、中の句をそのままいただいた場合には盗作ということになろう。

  
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