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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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丸谷才一『文学のレッスン』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

     丸谷才一『文学のレッスン』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
             ・・・・・・・・・・・・新潮社2010/05/31刊・・・・・・・・・・・・・・

丸谷才一の書くものは一風独特である。この本は彼なりの「文学概論」と言えるものである。
以下、新潮社の読書誌「波」六月号に載るインタビューを、そのまま転載しておく。
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      アメリカがイギリスに根強く抱く長篇小説コンプレックスとは?
      物語を読むように歴史を読んでなにが悪い? などなど、
       古今東西の文学作品をつぎからつぎへと繰り出しながら、
       目からウロコのエピソードでその真髄に迫る。
      小説から詩、エッセイ、批評、伝記、歴史、戯曲まで。
      絶対聞き逃せない文学講義! 聞き手・湯川豊

  ジャンル別に文学を語る

――この本の「はしがき」で、「文学概論ないし文学原論ないし文学総論、まあ呼び方は何でもいいが、とにかくその手の文学についての一般論には関心がなかつた」と書いていらっしゃいますね。『文学のレッスン』は一般論でこそありませんが、小説から詩、エッセイ、評論、伝記、歴史、戯曲という幅広いジャンルを網羅した、「丸谷才一 決定版文学講義」ともいうべき本になりました。
丸谷 少年時代に漱石の『文学論』を読んだのだけれど、ちっともおもしろくなかったんです(笑)。小説はあれほどすばらしいのにね。だけど同じようなタイトルでも、吉田健一さんの『文学概論』はまったく違っていた。言葉と精神についての考察から始まって、詩、散文、劇という文学の各ジャンルを一気呵成に攻めていくエネルギーに圧倒されました。これは、もともと大学の講義で話されたものだったということが大きいのではないか。折口信夫が吉田健一を国学院によんで、文学について自由に語る場所を提供した。それがもとになっているから、生き生きしていて、勢いがあるんです。漱石の本も、もとは大学の講義だけど、あれは気張りすぎですね。
――今回のご本のはじまりは、三年前、季刊誌「考える人」の「短篇小説を読もう」という特集で、湯川豊さんを聞き手にお話をうかがったことでした。イギリスではいかに短篇小説の地位が低いか、オックスフォードの英語大辞典(OED)に「短篇小説(ショート・ストーリー)」という言葉が載ったのも一九三〇年の補遺が初めてだったとか、長篇大国イギリスに対し、アメリカは根深いコンプレックスを抱いているとか、身を乗り出してしまうようなお話ばかりでした。その一年後、「考える人」の「海外の長篇小説ベスト100」特集のときに再度ご登場いただき、この際、文学の各ジャンルについて語っていただけませんか、と無理なお願いを申し上げました。
丸谷 先ほどの『文学概論』や吉田秀和さんが訳されたクセジュ文庫のアンドレ・オデール『音楽の形式』などを読んで、ジャンル別というのはおもしろい趣向だなと思ってはいたんです。文学全般についての一般論というのは、ちょっとばかばかしいというか(笑)、照れくさいでしょ。でもそれぞれのジャンルごとなら、なにか面白い話もできるかもしれないと思ったわけです。

  話すこと、書くこと

――丸谷さんのお仕事のなかには、ときどき、『文学のレッスン』のように、聞き手がいて、それに答えてゆかれるというスタイルのものがありますね。たとえば、この本と同じ湯川豊さんが聞き手をつとめられた『思考のレッスン』などがそうです。こうしたものは、丸谷さんにとってどんな意味をもつものなのでしょう。
丸谷 ちょっと回り道になりますが、僕は子どものころから、自分の考えはずいぶん人と違うみたいだなと思いつづけてきました。最初にそう思ったのは満州事変のとき。昭和六年ですから、僕は六歳だった。九月十九日の午後、祖母のお供をして呉服屋にいっていた。そうしたら号外が出たんです。呉服屋の小僧たちがその号外をもらってきて、「戦争だ! 戦争だ!」とものすごく浮かれている。それを見て、子どもながらに、どうしてこんなことで浮かれて喜ぶんだろうと思った。あのとき僕は、それまでいた幼年時代という場所から、いきなり世界史のなかに連れ出されてしまったんだけれど、同時に、自分がストレンジャー、というとなんだかかっこいいが、人とはちがう考え方をするということを認識させられたんですね。それは小学校に行っても、大学に入ってもずっとそうでした。いわゆる文壇でももちろんそうだった。
 つまり、そんな僕の話を面白がってくれる人がたまにいると、非常にうれしいわけね(笑)。それでがんばって答える。僕は器用ではないから、できるだけ準備して、いろんな話を用意する。
――毎回うかがうお話を本当に楽しみにしていたのですが、書くことと語ることでは、やはりずいぶんちがうものですか。
丸谷 ちがいますね。たとえば、歴史というものは一種の物語で、そうである以上、ブローデルの『地中海』だって、タキトゥスの『年代記』だって、読みものとして楽しめばいいし、読み飛ばしたっていいんだ、なんていうのは、あまりに当たり前の話で、いちいち書かないでしょ。でもおしゃべりとしてなら自然と出てくるし、それなりに役に立つ。
――歴史の本だって、これまでどおり、物語として勝手に面白がって読んでいいんだ、と励まされました(笑)。

  かなり過激な文学論

――この本のなかには、丸谷さんの考え方というか、論法のおもしろさがたくさん出てきます。モーパッサンが一八八〇年代に、どうしてあんなに集中的にたくさんの短篇を書いたかというと、そこには大衆日刊紙の急激な発展があったからだとか、そういう社会背景とのつながりは、なかなか語られることがありません。あるいは、イギリスで「ショート・ストーリー=短篇小説」という言葉が生まれる以前に使われていた「スケッチ」という言葉が、明治期の日本に入ってきて、それが子規や虚子、斎藤茂吉らの写生文につながって、さらにそこから自然主義文学が生まれたとか、東西の文学事情、古今の文学の歴史が、縦横につながっていきますね。
丸谷 それは自分という人間がどういうふうに成り立っているかということでもあると思うんです。昔の日本といまの日本、西洋も中国もラテンアメリカも、それぞれの文学がみんな結びついたかたちで成立している。僕だけじゃなくて、たいていの読者がそうでしょう。でもそれを自由につなげていくことは、ものの考え方の定型や約束事によって抑圧されているのではないでしょうか。
 八回にわたって話してみて、僕の文学についての考え方は、日本の一般的な文学論とはやっぱりずいぶん違うみたいだなと思いました。たとえば詩についての考え方。音楽とレトリックが同時に表現されているのが詩で、しかもこれは文学全体の重大な条件であると言いましたが、ここのところを誰も言わない。文学の中心には詩がなければならなくて、詩には、いいまわしの面白さと言葉のつらなりの美しさ、意味とは別の音の楽しさ、それが同時にあることが要求される。そしてこれはあらゆる文学に要求される。現代日本の文学論は現在にいたるまで、ずっとその認識を欠いたままできたと思うんです。
 僕は今回、いちいち根本のところにさかのぼってしゃべってみたのですが、これだけ異端者的な説をたてつづけに話している本というのも、刺激が強くていいんじゃないかなと思いました。そうだそうだ、と言ってくださる方がいるのはもちろん楽しいことだけれども、丸谷の考え方はおかしいという意見も大いに期待しているんですね。そのくらい危険な意見が充満している本だと思います(笑)。

  小説を書く方法

――丸谷さんのお話のおもしろさは、さまざまなジャンルの膨大な本をお読みになって、それをある種の証拠にして、独自の考えを組み立てていかれるところにあるのではと思います。それにしても、小説の実作者で、これほど文学のことをあれこれ考えている方もそうはいないような気がします。
丸谷 それは僕の小説を書く方法がちがうからですね。日本の小説では、昔もいまも、自分がしたことを書くというのが主流なわけでしょ。つまり生活者の報告。それはおおもとをたどると、さっき話に出たスケッチに行きつく。スケッチを書くのであれば、土台のところでは、ほとんど考えずにすむ。僕の小説はスケッチではなく、夢想者の行動なので、自分がしなかったことを書く。典型的なのは『笹まくら』の徴兵拒否。そこでどうしたって考えることになる。何を考えるかというと、つまり組み立てですよね。構成というのか、建築というのか。その方法と文芸評論の方法とは、かなり似ているんです。
――そういうお話をうかがっていると、こんどは丸谷さんの小説を読みたくなってきます。『輝く日の宮』はポリフォニックな長篇でした。つぎの小説のことをうかがえますか。
丸谷『文学のレッスン』で小説の話をしていると、自分でも書きたくてたまらない気持ちになりました。そろそろ機も熟したし、この春に病気をして、ようやく元気になったこともあって、本式に始めようかと思っているところです。中篇小説をひとつ書き上げて、小説集を一冊つくりたいと思っています。
――それはほんとうに楽しみです。新作をお待ちしています。      (まるや・さいいち 作家・文芸評論家)


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