
紺ふかき耳付の壺マグダラの
マリアのやうに口づけにけり・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
「マグダラのマリア」は、磔刑で死んだキリストが復活して初めて会いに行った人である。
元は娼婦であることから、さまざまの物議をかもしてきた人物である。
はじめに写真①の説明を済ませておく。画像は16世紀のドイツの画家Jan van SCORELの描いたもの。
手にしているのがマグダラのマリアのシンボルである聖油の洗礼用容器である。
掲出した歌の関連で書いておくと、同じ歌集のイスラエル紀行の中で、次のような歌を私は作っている。
先に二つの歌の背景説明をしておくと、
「マグダラのマリア教会」は1888年ロシア皇帝アレキサンダー3世建立。
マグダラのマリアと母后マリアの二人を記念して建てた。聖地エルサレムの旧市街を見下ろすオリーヴ山の麓にある。
磔刑の死後3日後、復活したイエスをはじめて見たのはマグダラのマリアだった。

娼婦たりしマグダラのマリア金色(こんじき)の教会に名とどむオリーヴ山麓・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
「マリアよ」「先生(ラボニ)!」ヨハネ伝20章に描かるる美(は)しき復活の物語
「福音書」は神殿娼婦マグダラのマリアから、イエスが七つの悪霊を追い出し、復活後、まずこの女のところに姿を現したと述べている(『マルコによる福音書第16章9節』)。
のちキリスト教徒が非難したため教令集から除かれた書物には、二人の関係についてさらに奇妙なことが詳しく述べられている。
すなわち、イエスは他の使徒たちすべてを合わせたよりもマグダラのマリアを愛し、「使徒たちの使徒」「すべてを知った女」と呼んで、しばしば接吻した、など。
グノーシス派の福音書が教令集から切り取られる前には、共観福音書やその他の新約聖書と同じくらい、「神の言葉」として受け入れられていた。
だからマグダラのマリアに関する中世の伝統は、この女性を初期の神秘的な最高位に戻している。
マリアは「マリア・ルシフェル(光を与えるマリア)」と呼ばれた。
「イエスがマリアに対して拒んだ恩寵は何ひとつなかった。イエスがマリアに与えない愛のしるしもなかった」と書かれている。

掲出した私の歌は「耳付の壺」を手に取って、連想としてマグダラのマリアを思い出したということである。
文学作品というのは、このように飛躍することがある。<非日常>と言われる所以である。
なぜ、そんな連想に至るのか、というような質問は野暮の骨頂である。
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