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K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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中野明『裸はいつから恥ずかしくなったか』―日本人の羞恥心―・・・・・・・・・・・木村草弥
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──新・読書ノート──

 中野明『裸はいつから恥ずかしくなったか』―日本人の羞恥心―・・・・・・・・・・・・木村草弥
                    ・・・・・・・・・・新潮選書2010/05刊・・・・・・・・・・・

新潮社の読書誌「波」六月号に載る「書評」を、そのまま引いておく。
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      150年前の「混浴図」が、現代の日本人には奇異に見えるのはなぜか?

       「男女が無分別に入り乱れて、互いの裸体を気にしないでいる」。
       幕末に訪日した欧米人が驚いたのは、公衆浴場が混浴だったから。
       当時の裸体観は今と異なっていたのだ。
       だが、次第に日本人は裸を晒すことを不道徳と考えて、私的空間以外では肉体を隠すようになる。
       その間、日本人の性的な関心がどう変化したかを明らかにする。

      「ホンネの眼差し」から「タテマエの視線」へ・・・・・・・・・・・・紀田順一郎

 百五十年前、日本にやってきたペリー艦隊の一行を最もおどろかせたものが、伊豆下田公衆浴場の混浴風景だったことはよく知られている。キリスト教を基盤とする欧米人の風習やモラルから見れば、公共の場で男女ともに異性の前で平然と裸をさらけ出すような光景は、世界観を揺るがすほどの衝撃だった(「第一章 この国に羞恥心はないのか!?」)。随行画家により描かれたこのスケッチは彼らの遠征記を飾り、十九世紀の欧米社会に流布した。
 ところが、この絵を見る現代の私たちが「一種の奇妙さとある種の居心地の悪さ」を覚えるのは、著者のいう通りであろう。いったい、これは真実を描いたものだろうか?
 銭湯や入浴の歴史は、これまでにも目にしたことがあるが、本書の眼目はここからで、江戸時代の日本人がなぜ裸に対して許容度が高かったのか、いつごろから弾圧がはじまったのかといった疑問を豊富な文献を手がかりに、ていねいに掘り下げていく。
 まず、著者が裸体をかくす衣服に着目しているのは鋭い。日常の衣服をきわめて簡単なものですませる日本人は、仕事にしても褌姿が多く、手工業者、馬丁の場合は裸が仕事着といえた。女性も暑いときは着物を大方脱いでしまう。その延長で、男などは銭湯から裸で家に帰ることが常態化していた。家屋も開けっ放しで、西欧人の考えるようなプライバシー保持の感覚もなかった。したがって肌脱ぎして化粧するような場面を外国人に対して隠そうとしなかったのも不思議ではない。著者は「日本人は、性器を隠そうとする意識が極めて低かった」として、タウンゼント・ハリスの通詞ヒュースケンが「相当な身分の日本人の家」を訪れた際、その主人が家族の面前で自分の陰部を指し、英語の名称を訊ねたという例をあげている。これは『ハリス 日本滞在記』に出て来る記述で、読んだ人も多いはずだが、“未開時代”の話として、その意味までは考究しなかったのではあるまいか。
 このような挿話に浮かび上がる日本人の裸体観は、文明と未開の落差ではなく、キリスト教国や儒教国との裸体観の相違であるとする著者の指摘は、まさに正当であろう。“未開”は西欧の基準に過ぎず、この国では裸体は顔の延長としての「日常」であった。セックスとの結びつきも緩やかだった。春画だけは裸体とセックスが結びついているが、性器を大きく、体位をアクロバティックにすることで、性行為自体を強調しようとしている。
 性をコントロールする方法は二つあり、一つは性を隠蔽すること、もう一つは性をオープンにすることだが、江戸時代の日本人は明らかに後者を採用したとする考え方も正しい。まさにそのような文化的差異を前提にしてこそ、明治以降の裸体の禁圧政策の意味が見えてくるからだ。西欧に追いつき追い越せを国是とした明治新政府は、外からの視線で自らの伝統的な感性を否定し、基準に合致しないものを野蛮の陋習として弾圧する。「裸体禁止令」と「違式註違条例」はその最たるものだった。施行当時のある錦絵新聞は、縁側で肌脱ぎ状態で涼んでいる女性すら、警察にしょっ引かれたという出来事を扇情的に報じている。「羞恥心を日本人に植えつけたのは西洋文明の複眼であり、それに大いに加担したのが明治新政府であり、後の新聞社だったのである」
 その後の歴史の教えるところは、女性が肌どころか陰部や胸部までを蔽い隠すようになったことだ。本書は生活文化に関わるテーマを、資料を博捜することで跡づけた風俗史に属するものであろうが、単なる風俗よりもその奥にあるものを発見しようとしている点が特色である。それは結論部分を見てもわかる。著者によれば、現代の女性は裸体を何重にも隠している。最初の契機は、幕末日本にやってきた外国人の「ホンネの眼差し」から身を隠すことだった。ついで明治新政府が外国人の「タテマエの視線」に配慮し、混浴をはじめ街頭における裸体を排除した。こうして女性の裸が二重の拘束を受けた上にパンツをはく習慣が加わり、さらには胸部を蔽うまでにいたる。これでも収まらずに、その下着類まで隠す習慣が一般化することにより、裸体は五重に隠蔽されることとなった。
 このような隠蔽の度が加わるにつれ、男性も影響を蒙り、昨今の「スカート男子」の出現どころか、ついには著名タレントが深夜の公園で全裸になったという理由で処罰を受けるという騒動に発展した。百五十年前とは、なんという違いであろうか。「かつて日本人がおおらかな裸体観をもっていた事実をふまえて考えると、裸体を徹底的に隠す日本社会も、行き着くところまで来た感がする」とは、著者の嘆きである。
 裸やセックスの社会的制御は微妙な問題で、西欧にもタテマエとホンネの相違はあるが、日本ほどではない。かつての「チャタレイ裁判」にせよ、先ごろの篠山紀信の公然ワイセツ罪容疑(公衆の目にふれやすい場所でのヌード撮影)にせよ、取締の根拠はきわめて恣意的、場当たり的である。近世における、裸体を日常の一部として無化する感覚は、明治の他者志向の近代化により性急な抑圧を受けた。本書の意義は近代化の歪みの最も大きな部分が裸体の否定にあったことを、これ以上求め難いほど精力的に抉り出した点にあろう。    (きだ・じゅんいちろう 作家)
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中野明という人の著作を見ると、ビジネス、経営、ハウツーもの、に関するものが殆どで、かつ著書も物凄く多い。
日本には「軽犯罪法」という法律があり、たとえば、戸外で裸体を(上半身でも)露出するのは「犯罪」とされるらしい。
こういう明治以降の「為政者」の判断が、今日の日本人の意識に反映していると思うのだが、いかがだろうか。

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