K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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草弥の詩作品「散文詩・宇宙暗闇と生命の光」・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
hakodate函館夜景
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品(26)──再掲載・初出Doblog2004/10/11

     散文詩・宇宙暗闇と生命の光 ・・・・・・・・木村草弥
          ───la obscurite cosmique dans la clarte de la vie

人間が集い住む場所──都市の中に、夜でも光が溢れるようになって、もうどれくらいの歳月が経ったのだろう?
 人工衛星から地球を撮影すると、夜、宇宙の暗闇と一つながりの半球に、都市がある場所だけ光が見える。
それは、天上に輝く星の光に似ているようでもあり、清流の上を飛ぶ蛍を思い出させるようでもある。
暗闇の中の光は、恐らく太古の人類にとっての炎の記憶に結びついている。
蛍光灯によって照らし出されたフラットな室内照明よりは、暗闇に輝く街灯の方に喚起力がある。

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この前の戦争に狩り出されて南の島で蛍の何万という大群が樹にむらがっているのを見た兵隊の話がある。「蛍の木」という。
本来、自然界の文法においては、地上や水中で光るものは、必ず生命である。
ライアル・ワトソンは著書『未知の贈りもの』の中で、インドネシアの夜の海で船の下の巨大な発光体に出会った体験について書いている。
その正体は、無数のイカの発する光であった。
この出会いが、ワトソンが地球上の生命潮流の中を彷徨する一つのきっかけになったのではないか。

死という絶対の暗闇と交錯する時、生命の光は世界そのものと同じくらいの強度をもって、私たちの心に焼き付けられる。
都市のビルの高層レストランから外の夜景を見るとき、そこに広がる光の海の正体が、判りきったものだと思うことで、
私たちは何か大切なものを失ってはいないか?
地上の光は生命の作用であるという光の文法に立ち返るとき、はじめて私たちは、その大切なものを回復できるのではないか?
ユークリッドやトレミーをはじめとする古代の思想家は、光は目から放出されるものだと考えた。
何かを「見る」ということは、何かを「触る」ということと同じであると考えた。
生命の作用として、光の本性を考えると、それほど私たちの実感から離れているわけではない。

アマゾンのマナウス近郊で、夜、ワニの目を見に行ったことのある友人の話───。
ネグロ川に浮かぶフローティング・ハウスに一泊した。
アレクサンドルというインディオの青年に率いられて、ボートに乗ってネグロ川に漕ぎ出した。
月のない晩で、川の油のように滑らかな黒い水面と、川沿いの木々、そして、その上の天空が、少しづつ質感の違う一連なりの黒として私たちを包んだ。
アレクサンドルがサーチライトで照らし出す水辺の暗闇に、丸々と光の点が見えて来た。それがライトを反射して光るワニの両眼であった。

死と隣りあわせの南の島で、蛍の木を見つめる兵士たちを包んでいたものも、夜の海で巨大な発光体のイカに接近されたライアル・ワトソンの頭上にあったものも、全てを包み込む一つの巨大な「宇宙暗闇」ではなかったか?
私たちが築きあげた都市の中で、もはや無数のイカの群にも、蛍の木にも、ワニの目にも出会うことはない。
都市化によって、私たちが失ったもの、消え去ったものの大きさに心を震わせない人は果たしているだろうか?
私たちは何かを摑もうとしている。
太古から変ることなく私たちを包んできた宇宙暗闇の中で、何かを摑むために宇宙暗闇の中の光という文法が、太古から生命の印であった、という地点まで戻るしかない。

夜でも昼のように明々と照らし出された机の上で、私はインターネットをサーフィンし、エアコンの効いた部屋に閉じこもり、車のドアを閉める音が消えた後の静寂の中に、辛うじて文明以前の太古の響きを聴く。大自然の営みの気配は遠く去り、ガラスと鋼鉄の生命維持装置が、私の目を曇らせる。
しかし、そんな私のちっぽけな生命をも、宇宙暗闇はきっと包んでいる。
今もなお、インドネシアの海で光るイカの群が、南の島の木に集う何十万匹という蛍が、ネグロ川の川辺に潜むワニが、しっとりと包まれているように、文明の中に棲む、この私も、どこまで続くか判らない、果てしのない深い闇に抱かれて、今までに見たこともない素晴らしいものとの出会いを夢みている。 (完) (2004.10.03作)
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①「草弥の詩作品」では今までから、題名の次に副題としてフランス語表記を書いてきたが、ご存じのようにフランス語には「アクサンテギュ」や「アクサングラーヴ」という記号が付く。
私のワープロもフランス語表記の設定をしているが、これらは転送したりすると外されてしまう。
これが日本語という特殊なワード・プロセッサの操作を経由したシステムの弱点である。
英語、フランス語、ドイツ語など西欧語同士では、こういう障害は起らない、という。
専門家にも聞いてみた結果がこれである。
従って、私のフランス語表記の「副題」は、はじめから、そういう記号は、承知の上で外してあるので、予めご了承くださるよう一言申しあげる。
②この作品は詩集『免疫系』(角川書店2008/10刊)に収録してあるので、ご覧ください。


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