K-SOHYA POEM BLOG
私のBLOGは詩歌句の「短詩形」文芸に特化して編集している。 今はもう無くなったが、朝日新聞の大岡信「折々のうた」などの体裁を参考にして少し長めの記事を書いている。自作も多めに採り上げている。
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水仙の香や一睡の夢の後・・・・・高橋謙次郎
narsissus3水仙

      水仙の香や一睡の夢の後・・・・・・・・・・・・・・高橋謙次郎

「水仙」はいろいろの品種があるが、日本水仙は12月頃から咲きはじめて、春先まで息の長いものである。
『山の井』に「霜枯れの草の中に、いさぎよく咲き出でたるを、菊より末の弟ともてはやし、雪の花に見まがひて」云々とあるのも、簡潔にして要を得た水仙の紹介である。
写真②は黄水仙である。

narsissus黄水仙

わが家の庭の一角にも1月中ごろから日本水仙が咲きはじめ、今も寒風の中に、けなげに咲いている。
水仙の集団的な自生地としては、越前海岸や淡路島南端などが有名で、観光バスを連ねて見物に大勢が来る。
水仙の球根は植えっぱなしでよく、変にいじくらない方がよい。数年に一度くらい掘りあげて植えなおしする程度でよい。
夏になると、地上部の葉は、すっかりなくなり、他の植物の陰に隠れてしまうが、寒くなると葉が地上に出てくる。
水仙は学名を Narissus というが、これはギリシア神話で美少年ナルシッサスが水面に映るわが姿に見とれ、そのまま花になってしまったのが水仙だという。
自己陶酔する人を「ナルシスト」というのも、これに由来する。
なお「水仙の隠喩」というのがあるので、「シンボル・イメージ」の世界では、こういう象徴的な捉え方をするので、参照してもらいたい。 

 水仙や白き障子のとも映り・・・・・・・・松尾芭蕉

 水仙に狐遊ぶや宵月夜・・・・・・・・与謝蕪村

のような古句があるが、この両句は、ともに水仙をじかに見て詠んだのではなく、「障子」を通して、障子に映る影からの印象を句にしている。
何分、水仙の咲く頃は厳寒だから、それも当然であろうか。

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以下、水仙の句を少し引いておく。

 水仙を剣のごとく活けし庵・・・・・・・・山口青邨

 海明り障子のうちの水仙花・・・・・・・・吉川英治

 水仙花紙に干しある餅あられ・・・・・・・・滝井孝作

 水仙や古鏡の如く花をかかぐ・・・・・・・・松本たかし

 水仙花三年病めども我等若し・・・・・・・・石田波郷

 水仙花眼にて安死を希はれ居り・・・・・・・・平畑静塔

 水仙の花のうしろの蕾かな・・・・・・・・星野立子

 水仙や捨てて嵩なす蟹の甲・・・・・・・・大島民郎

 水仙や老いては鶴のごと痩せたし・・・・・・・・猿橋統流子

 水仙花死に急ぐなと母の声・・・・・・・・古賀まり子

 牛追ふや磯水仙を手にしつつ・・・・・・・・山田孝子

 水仙やカンテラに似て灯はともり・・・・・・・・飴山実

 水仙のりりと真白し身のほとり・・・・・・・・橋本多佳子

 水仙の吾を肯へり熟睡せむ・・・・・・・・石田波郷

 水仙や時計のねぢをきりきり巻く・・・・・・・・細見綾子

 水仙やたまらず老いし膝がしら・・・・・・・・小林康治

 水仙のしづけさをいまおのれとす・・・・・・・・森澄雄

 抱かねば水仙の揺れやまざるよ・・・・・・・・岡本眸

 水仙は一本が佳しまして予後・・・・・・・・鈴木鷹夫

 奪ひ得ぬ夫婦の恋や水仙花・・・・・・・・中村草田男

 水仙は八重より一重孤に徹す・・・・・・・・西嶋あさ子

 水仙花私淑は告ぐることならず・・・・・・・・山田諒子

 水仙の切り口に夜の鮮しき・・・・・・・・野崎ゆり香

 日の果てに水仙立ち止れば岬・・・・・・・・吉田透思朗



亡き友も五指に余るや牡蠣すする・・・・・本多静江
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    亡き友も五指に余るや牡蠣すする・・・・・・・・・・・・・・本多静江

冬の季節には「牡蠣」(かき)が美味なるものの一つである。
写真①は「焼き牡蠣」である。

フランス人も牡蠣をよく食べることは知られている。
Web上で見つけた「フランス落書き帳」というサイトによると、ボルドー(正確にはアルカッション)の牡蠣生産は有名らしい。
フランス国内需要の元になるチビ牡蠣の約70%を供給しているという。

a0008105_19524フランス牡蠣
↑ 写真②の、牡蠣9個、白ワイン、パン、海を見ながらのロケーションを含めて6ユーロ(約1000円)くらいだという。
(もっとも、これは産地で食べる値段であって、パリのそこそこの店で食べたら20ユーロ以上取られるらしい)
日本でも酢牡蠣にして食べるが、フランスでは生牡蠣にレモンをしぼって食べる。
また、この地方では焼いたソーセージと一緒に食べることも多いと言い、その場合は赤ワインとともに賞味するらしい。
私はオランダで「ムール貝」を食べたことがあるが、フランスで「牡蠣」を生食したことはない。

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↑ 写真③は「牡蠣フライ」だが、外食しても、家庭でも、この牡蠣フライが一番ポピュラーではないかと思う。
牡蠣は「海のミルク」と表現されるように、栄養素を豊富に含んでいる。出来れば、海の汚染されていない、きれいな海の産地のものが望ましいだろう。
写真①に載せた「焼き牡蠣」は適当に水分が飛んで、しかも海水のほのかな塩気が食欲をそそる。
先年の1月下旬に安芸の宮島に遊んだが、そこで「焼き牡蠣」を食べた。
目の前で網で焼いてくれて熱々を食べる。ふーふー言いながらの美味で2個で400円だった。

写真には載せないが土鍋での水炊きもおいしいものである。冬の季節には暖かい鍋物は、体が温まって、ほっこりした気分になる。
妻が元気な時は、家でも、よく食べたが、妻が亡くなった今では鍋物はほとんど姿を消した。

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↑ 写真④は牡蠣とホーレン草のクリームパスタである。
このように和風、洋風さまざまに料理は工夫できよう。今は年代によって料理の好みもさまざまであるから、ある料理法に固執する必要はないのである。
年配者向きには、牡蠣の使い残りで「牡蠣のしぐれ煮」なども喜ばれる。ご飯が少し余った時など、こんな佃煮も重宝なものである。
牡蠣雑炊なども水炊きの後のエキスの入った汁の活用として、おいしくいただける。
何だか、料理番組みたいになってしまったが、冬の味覚として私の大好きな食品である。

以下、牡蠣を詠んだ句を少し引いて終りたい。

 牡蠣はかる水の寒さや枡の中・・・・・・・・高浜虚子

 牡蠣鍋の葱の切つ先そろひけり・・・・・・・・水原秋桜子

 牡蠣の酢に和解の心曇るなり・・・・・・・・石田波郷

 だまり食ふひとりの夕餉牡蠣をあまさず・・・・・・・・・加藤楸邨

 牡蠣むきの殻投げおとす音ばかり・・・・・・・・中村汀女

 灯の下に牡蠣喰ふ都遠く来て・・・・・・・・角川源義

 母病めば牡蠣に冷たき海の香す・・・・・・・・野沢節子

 牡蠣好きの母なく妻と食ひをり・・・・・・・・杉山岳陽

 牡蠣そだつ静かに剛き湾の月・・・・・・・・柴田白葉女

 夕潮の静かに疾し牡蠣筏・・・・・・・・打出綾子

 牡蠣殻が光る鴉の散歩道・・・・・・・・藤井亘


赭土の坂をのぼれば梅の香はすがすがしかり肺を満たして・・・・・・木村草弥
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   赭(あか)土の坂をのぼれば梅の香は
         すがすがしかり肺を満たして・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
私の住む「青谷」という所は鎌倉時代からの梅の名所である。
今では「城州白」という品種の梅が「梅酒」の原料としてピカ一であるとかで珍重されているらしい。
「梅」の歌は、私はいくつも作ったし、BLOGにも再三載せてきた。
特に2月19日は私たちの長姉・登志子の死んだ日であり、このこともBLOGに書いたことがある。

梅の花は、その香気と花の姿が万葉集の頃から愛でられた。その頃は「花」と言えば梅のことであった。
桜が花の代表のようになるのは「古今和歌集」になってからである。
それに、梅の花は花期が長く、桜のように、わっと咲いて、わっと散ることはないから趣がある。
私は梅の名所に住んでいるから言うのではなく、梅の方が好きである。

hana565_1_ume紅梅

紅梅は白梅よりも花の開花がやや遅いのが普通である。
濃艶な感じがする。
尾形光琳の「紅白梅図」の絵の紅梅、白梅の対照の美しさが思い出される。

梅の花は古典俳句にもたくさん作られてきた。

 梅が香にのつと日の出る山路かな・・・・・・・・松尾芭蕉

 むめ一輪一りんほどのあたたかさ・・・・・・・・服部嵐雪

 二もとの梅に遅速を愛すかな・・・・・・・・・与謝蕪村

などの句が、それである。
その香気、春を告げる開花の時期に、句眼がおかれている。
以下、梅を詠んだ句を引いて終わる。

 山川のとどろく梅を手折るかな・・・・・・・・飯田蛇笏

 梅一枝つらぬく闇に雨はげし・・・・・・・・水原秋桜子

 勇気こそ地の塩なれや梅真白・・・・・・・・中村草田男

 悲しめば鱗のごとく梅散りしく・・・・・・・・原コウ子

 梅も一枝死者の仰臥の正しさよ・・・・・・・・石田波郷

 てのひらを添え白梅の蕾検る・・・・・・・・大野林火

 梅白しまことに白く新しく・・・・・・・・・星野立子

 梅が香に襲はれもする縋られも・・・・・・・・相生垣瓜人

 梅咲けば父の忌散れば母の忌で・・・・・・・・安住敦

 梅挿すやきのふは酒のありし壜に・・・・・・・・石川桂郎

 梅二月ひかりは風とともにあり・・・・・・・・西島麦南

 静けさのどこか揺れゐて梅白し・・・・・・・・鷲谷七菜子

 月光に花梅の紅触るるらし・・・・・・・・飯田蛇笏

 うすきうすきうす紅梅によりそひぬ・・・・・・・・池内友次郎

 紅梅に雪かむさりて晴れにけり・・・・・・・・松本長

 伊豆の海や紅梅の上に波ながれ・・・・・・・・水原秋桜子

 一本の紅梅を愛で年を経たり・・・・・・・・・山口青邨

 紅梅の燃えたつてをり風の中・・・・・・・・松本たかし

 紅梅や熱はしづかに身にまとふ・・・・・・・・中村汀女

 梅紅し雪後の落暉きえてなほ・・・・・・・・西島麦南

 厄介や紅梅の咲き満ちたるは・・・・・・・・永田耕衣

 紅梅や一人娘にして凛と・・・・・・・・上野泰

 白梅のあと紅梅の深空あり・・・・・・・・・飯田龍太

 紅梅の紅のただよふ中に入る・・・・・・・・吉野義子

 紅梅の天死際はひとりがよし・・・・・・・・古賀まり子



凍蝶の越えむ築地か高からぬ・・・・・相生垣瓜人
muraムラサキシジミ

──京の冬の庭の句いくつか──

   ■凍蝶の越えむ築地か高からぬ・・・・・・・・・・・・・・・・・・相生垣瓜人

「凍蝶」については何度も書いた。最近にも載せたが、成虫のまま冬を越す蝶のことである。
写真①のムラサキシジミも、成虫のまま越冬することが知られている本州に棲む蝶である。
「築地」とは築地塀とも言うが、泥土を固めて作った塀で上に瓦を乗せてある。
京都の寺院の塀などは、みな築地造りである。
この句は、冬の季節の今、そんな築地を眺めながら、「凍蝶は、この庭のどこかで越冬しながら春を待ちこがねて、やがて春になれば、
この高くはない築地を越えてゆくのだろう」と思いをめぐらしているのである。
しみじみとした情趣のある句である。

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   ■如月の水にひとひら金閣寺・・・・・・・・・・・・・・・川崎展宏

俳句は17字と短いので語句を省略することが多い。この句も「ひとひら」ということについては何も書いてない。
この句の場合、「ひとひら」というのが、今の季節の梅の花びらが浮いているのか、あるいは水に映る金閣を花に譬えて「ひとひら」と言ったのか、
読者にさまざまに想像させる言外の効果をもたらすだろう。
何もかも言い切ってしまった句よりも、「言いさし」の句の方が趣があるというものである。

   春雪や金閣金を恣(ほしいまま)・・・・・・・・松根東洋城

   池にうつる衣笠寒くしぐれけり・・・・・・・・・名和三幹竹

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   ■寒庭に在る石更に省くべし・・・・・・・・・・・・・・・・・山口誓子

   梅天やさびしさ極む心の石・・・・・・・・・・中村汀女

   みな底の余寒に跼み夕送る・・・・・・・・・宮武寒々

これらの句は龍安寺で詠まれたものである。
写真③には雪の石庭を出してみた。
掲出の誓子の句は「石更に省くべし」という大胆なことを言っている。
この寺は臨済宗妙心寺派の古刹だが、応仁の乱の東軍の大将・細川勝元が創建したが応仁の乱で消失し、勝元の子・政元が再興したが
寛政9年(1797)の火災で方丈、仏殿、開山堂などを失い、現在の方丈は、西源院の方丈を移築したものという。
因みに、最初に掲出した相生垣瓜人の句は、ここ龍安寺で詠まれたものである。

kakura-nisonin35w愛新覚羅浩(嵯峨)家

  ■僧も出て焼かるる芝や二尊院・・・・・・・・・・・・・・・・五十嵐播水

   雪解(ゆきげ)水ここだ溢れて二尊院・・・・・・・・・波多野爽波

二尊院は嵯峨野の西の小倉山の山懐にある。
ここには正親町三条を源とする「嵯峨」家30代にわたる菩提寺で、写真④に掲出する嵯峨家の墓がある。
愛新覚羅浩という、元の満州国皇帝の弟に嫁いだ浩は嵯峨家の出身である。

    からくにと大和のくにがむすばれて永久に幸あれ千代に八千代に

昭和53年(1978)8月、日中平和友好条約が成立したとき、愛新覚羅浩が、わが身を顧みて、心からその喜びを歌に詠んだ。まな娘・慧生の23回忌であった。
小倉山というのは「百人一首」で知られるところである。

giouji1祇王寺

   ■祇王寺と書けばなまめく牡丹雪・・・・・・・・・・・・・・・高岡智照尼

    句を作る尼美しき彼岸かな・・・・・・・・・吉井勇

    祇王祇女ひそかに嵯峨の星祭・・・・・・・・・岡本綺堂

    声のして冬をゆたかに山の水・・・・・・・・・鈴木六林男

    祇王寺の暮靄(ぼあい)の水の凍てず流る・・・・・・・丸山海道

    しぐるるや手触れて小さき墓ふたつ・・・・・・・・・貞吉直子

「祇王寺」とは平家物語で知られる白拍子祇王ゆかりの寺である。寺というよりも庵であろうか。
平清盛の寵愛を受けていたが、仏御前の出現によって捨てられ、母と妹とともに嵯峨野に庵を結んで尼となった。
後に仏御前も祇王を追い、4人の女性は念仏三昧の余生を過ごしたという。
この庵は法然上人の門弟・良鎮によって創められた往生院の境内にあったが、
今の建物は明治28年に、時の京都府知事・北垣国道が嵯峨にあった別荘の一棟を寄付したものである。
所在は嵯峨鳥居本小坂町である。
この句の作者高岡智照尼については←ここを参照されたい。
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暦のことを掻いておくと、今日は二十四節気では「雨水」ということになる。気象は、一雨ごとに春に向かうということである。敢えて記しておく。






呼吸すれば、/胸の中にて鳴る音あり。/凩よりもさびしきその音!・・・・・石川啄木
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    呼吸(いき)すれば、
   胸の中にて鳴る音あり。
   凩(こがらし)よりもさびしきその音!・・・・・・・・・・・・・・・石川啄木


石川啄木は短歌というジャンル分けには納まらない詩人である。
写真は、同郷人で終生親友であった金田一京助(左)とのもの。

この歌も三行分かち書きであり、かつ句読点も打ってあり、横文字の感嘆符!まで付けてある。
 ↑彼についてはリンクにしてあるので、ご覧ください。

「胸の中にて鳴る音」というのは、肺を出入りする呼吸音のことであろうか。啄木はいつも貧窮のうちにあったから、身のうちの呼吸音にも「さびしさ」を感じたというのである。
啄木には
  <働けど働けど、わが暮らし楽にならざり。ぢつと手を見る>
というような作品もあるが、ここは、そういう身すぎ世すぎを書きたいとは思わないし、今日は石川啄木について書くつもりは無いので、「木枯し」を詠んだ句を引いて終りたい。

 木枯の果てはありけり海の音・・・・・・・・池西言水

 凩や何に世わたる家五軒・・・・・・・・与謝蕪村

 木枯や鐘に小石を吹きあてる・・・・・・・・与謝蕪村

 凩や広野にどうと吹きおこる・・・・・・・・・与謝蕪村

 木がらしや地びたに暮るる辻諷(つじうた)ひ・・・・・・・・小林一茶

 木がらしや目刺にのこる海のいろ・・・・・・・・芥川龍之介

 海に出て木枯帰るところなし・・・・・・・・山口誓子

 木枯や水なき空を吹き尽す・・・・・・・・・河東碧梧桐

 こがらしや女は抱く胸をもつ・・・・・・・・加藤楸邨

 死は深き睡りと思ふ夜木枯・・・・・・・・相馬遷子

 木枯と星とが知つてゐるばかり・・・・・・・・矢田部芙美

 凩や馬現れて海の上・・・・・・・・松沢昭

 妻へ帰るまで木枯の四面楚歌・・・・・・・・鷹羽狩行

 木枯らしに暮れてモンドリアンの木々・・・・・・・・高橋謙次郎

 木枯やいつも前かがみのサルトル・・・・・・・・田中裕明

 木枯のあとの大いなる訃がひとつ・・・・・・・・堀米秋良



咳をしても一人・・・・・尾崎放哉
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       咳をしても一人・・・・・・・・・・・・・・・・・・尾崎放哉

ご存じの通り、尾崎放哉は「自由律」の俳人である。この句は「せきをしてもひとり」というかな書きばかりのテキストもあるが、今回は掲出のような表記にした。
放哉は東京大学法学部出のインテリで、生命保険会社や火災海上保険会社の支配人などを歴任したが、酒癖が悪くて退職に追い込まれたという。
須磨寺などの下働きのあと、小豆島西光寺南郷庵の堂守となる。
大正4年から荻原井泉水の「層雲」に句を発表し、その個性は自由律俳句によって存分に発揮された。

syuzouko尾崎放哉資料館収蔵庫

香川県の小豆島に尾崎放哉記念館がある。写真は資料館の収蔵庫である。
放哉については余り資料がないが、彼の句を少し引いておきたい。

Hosai2尾崎放哉

 夕日の中へ力いつぱい馬を追ひかける

 一日物云はず蝶の影さす 

 氷がとける音がして病人と居る

 仏にひまをもらつて洗濯してゐる

 こんなよい月を一人で見て寝る

 淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る

 つめたい風の耳二つかたくついてる

 糸瓜が笑つたやうな円右が死んだか

 大雪となる兎の赤い眼玉である

 底がぬけた柄杓で水ほ呑まうとした

 なんにもない机の抽斗(ひきだし)をあけて見る

 蛙たくさん鳴かせ灯を消して寝る

 淋しいからだから爪がのび出す

 昼寝の足のうらが見えてゐる訪ふ

 漬物石になりすまし墓のかけである

 すばらしい乳房だ蚊が居る

 足のうら洗へば白くなる

 畳を歩く雀の足音を知つて居る

 爪切つたゆびが十本ある

 入れものが無い両手で受ける

 月夜の葦が折れとる

 枯枝ほきほき折るによし

 渚白い足出し

 肉がやせて来る太い骨である

 春の山のうしろから煙が出だした




煮凝りの魚の眼玉も喰はれけり・・・・・・西島麦南
nikogori2ひらめのアラにこごり

   煮凝りの魚の眼玉も喰はれけり・・・・・・・・・・・・・・・・西島麦南

煮魚を汁とともに寒夜おいて置くと、汁がこごり固まる。これが煮凝(にこご)りである。特に骨にはゼラチンが多く含まれているのでよく凝る。
掲出の写真は、ひらめのアラを使った煮凝りだという。アラを、このように捨てずに有効利用するとおいしい食物になる。
適当な写真がないので出せないが、掲出句に詠まれる煮魚の煮凝りは冬には普通に見られるものであった。

nikogori1ふぐ煮こごり

写真②は、高級食材の「ふぐ」の皮などを煮詰めた「ふぐの煮凝り」であり、ふぐのセット料理の一品としてだされるもの。
こうなると、たかが煮凝りなどとは言えない、高級料理である。

煮凝りは、どちらかと言うと、大人向きの食事で、子供向きではない。掲出の句は、そういう機微もうまく捉えた、ほのぼのとした句である。
以下、煮凝りの句が多くあるので、それを引いて終りたい。

 煮凝を探し当てたる燭暗し・・・・・・・・高浜虚子

 煮凝や色あらはなる芹一片・・・・・・・・大谷碧雲居

 煮凝や親の代よりふしあはせ・・・・・・・・森川暁水

 寂寞と煮凝箸にかかりけり・・・・・・・・萩原麦草

 煮凝や父在りし日の宵に似て・・・・・・・・草間時彦

 煮凝りを箸にはさみて日本人・・・・・・・・山口波津女

 煮こごりや夫の象牙の箸づかひ・・・・・・・・及川貞

 煮凝や他郷のおもひしきりなり・・・・・・・・相馬遷子

 煮凝りのひえびえと夜のかなしけれ・・・・・・・・長谷川湖代

 煮凝りや母の白髪の翅のごと・・・・・・・・土橋璞人子

 煮凝や死後にも母の誕生日・・・・・・・・神蔵器

 煮凝や凝るてふことあはれなる・・・・・・・・轡田進

 煮凝りて眼鼻なほあり鮒の貌・・・・・・・・松本翠影

 煮凝やますます荒るる海の音・・・・・・・・佐藤漾人

 煮凝や若狭の入江深うして・・・・・・・・辻桃子

 居酒屋のいつもの席の凝鮒・・・・・・・・沖鴎潮

 煮くづれしまま煮凝となりにけり・・・・・・・・来栖恵通子

 煮凝の喉にとけゆく母国かな・・・・・・・・大屋達治

 さびしさの煮凝り売りし頃のこと・・・・・・・・高島征夫
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わが敬愛する島本融氏がHPを更新されて作り溜めた俳句を、たくさんアップされた。
その中に

 仲直りよべの煮こごり食べようよ・・・・・・・・・・・・・・・島本融

という句を見つけたので、ここにご披露しておく。
氏には、句集『午後のメニスカス』があり、Web上の私のHPでご覧いただける。
島本融氏は、未知の人であったが、偶然に私のHPを見た、と言ってメールを送って来られて交友するようになった。
本人は何も仰言らないが、検索してみて、氏が河井酔茗、島本久恵氏のご次男であること、群馬県立女子大学教授であられたこと、東京工芸大学のことなどが、サーフィンの結果判った。美学者であられる。
島本氏には先年上梓された歌集『アルカディアの墓碑』もある。
ここに引いた句を含む新作については機会をみて載せたい。


今日は楽しいバレンタインデー。あなたはチョコを貰いました?・・・・木村草弥
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──エッセイ──

   今日は楽しいバレンタインデー。
          あなたはチョコを貰いました?・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


写真①は宇治茶の茶問屋さん発売の「抹茶濃厚生チョコ」である。

今日2月14日は、女の人が男性にチョコレートを呉れる日とされている。
しかし、案外、なぜそうなったかを知る人は少ない。
「義理チョコ」なんていう奇妙な習慣まで出来てしまった。歴史的沿革をひもといてみよう。
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 バレンタイン・デーは、英語では「Saint Valentine’s Day」、訳せば「聖バレンタインの日」という意味です。
つまり、バレンタインというのは、人の名前なのです。どんな人だったかというと・・・。

 西暦3世紀のローマでのことです。皇帝クラウディウス二世(在位268-270)は、若者たちがなかなか戦争に出たがらないので、手を焼いていました。その理由は彼らが自分の家族や愛する者たちを去りたくないからだと確信するようになったクラウディウスは、ついに結婚を禁止してしまったのです。

 ところが、インテラムナ(イタリア中部にある町で、現在のテラモ)のキリスト教司祭であるバレンチノ(英語読みではバレンタイン)は、かわいそうな兵士たちをみかねて、内緒で結婚をさせていました。それが皇帝の知るところとなったから大変です。しかも、当時のローマでは、キリスト教が迫害されていました。皇帝は、バレンチノに罪を認めさせてローマの宗教に改宗させようとしましたが、バレンチノはそれを拒否しました。そこで、投獄され、ついには西暦270年2月14日に、処刑されてしまったということです。(269年という説もあります)。

Q) バレンタインデーはどのように始まったの?

A) ローマではルペルクスという豊穣(ほうじょう)の神のためにルペルカーリアという祭が何百年ものあいだ行われていました。毎年2月14日の夕方になると、若い未婚女性たちの名前が書かれた紙が入れ物に入れられ、祭が始まる翌15日には男性たちがその紙を引いて、あたった娘と祭の間、時には1年間も付き合いをするというものです。翌年になると、また同じようにくじ引きをします。

 496年になって、若者たちの風紀の乱れを憂えた当時の教皇ゲラシウス一世は、ルペルカーリア祭を禁じました。代わりに、違った方法のくじ引きを始めたのです。それは、女性の代わりに聖人の名前を引かせ、1年間のあいだその聖人の人生にならった生き方をするように励ますものです。そして、200年ほど前のちょうどこのお祭りの頃に殉教していた聖バレンチノを、新しい行事の守護聖人としたのです。

 次第に、この日に恋人たちが贈り物やカードを交換するようになっていきました。

Q) バレンタイン・カードの始まりは?

A) バレンチノは、獄中でも恐れずに看守たちに引き続き神の愛を語りました。言い伝えによると、ある看守に目の不自由な娘がおり、バレンチノと親しくなりました。そして、バレンチノが彼女のために祈ると、奇跡的に目が見えるようになったのです。これがきっかけとなり、バレンチノは処刑されてしまうのですが、死ぬ前に「あなたのバレンチノより」と署名した手紙を彼女に残したそうです。

 そのうち、若い男性が自分の好きな女性に、愛の気持ちをつづった手紙を2月14日に出すようになり、これが次第に広まって行きました。現存する最古のものは、1400年代初頭にロンドン塔に幽閉されていたフランスの詩人が妻に書いたもので、大英博物館に保存されています。

 しばらくたつとカードがよく使われるようになり、現在では男女とも、お互いにバレンタイン・カードを出すようになりました。バレンチノがしたように「あなたのバレンタインより」(From Your Valentine)と書いたり、「わたしのバレンタインになって」(Be My Valentine)と書いたりすることもあります。現在アメリカでは、クリスマス・カードの次に多く交換されているとか。

Q) どうしてチョコレートをあげるの?

A) 実は、女性が男性にチョコレートを贈るのは、日本独自の習慣です。欧米では、恋人や友達、家族などがお互いにカードや花束、お菓子などを贈ります。

 では、チョコレートはどこから出てきたかというと、1958年に東京都内のデパートで開かれたバレンタイン・セールで、チョコレート業者が行ったキャンペーンが始まりだそうです。そして、今ではチョコレートといえばバレンタイン・デーの象徴のようになってしまいました。クリスマスもそうですが、キリスト教になじみの薄い日本では本来の意味が忘れられて、セールスに利用されがちのようですね。

 自分の命を犠牲にしてまで神の愛を伝え、実践したバレンチノ・・・。今年のバレンタイン・デーは、そんな彼のことを思い出してください。
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layer4_118ロイズ生チョコ
写真②は北海道の「ロイズ」ROYCE’の「生チョコレート<山崎シェリーウッド>」756円、である。
写真①のような抹茶を使った変り種(定価1080円)もいいが、私はオーソドックスに生チョコと行きたい。
数年前に「ロイズ」の生チョコをもらってから、すっかり、ここの贔屓になった。北海道では他にも「六花亭」のものも有名ではある。
ROYCE'と書いてロイズと読ませるのも印象に残る。

バレンタイン・デーには、何もチョコをあげるばかりが能ではない。
ネット上では、さまざまのギフトが載っている。中には男性下着を贈るというのがあり、なまめかしい「Tバック」を贈る人もあるらしい。
「一緒に旅行に行く」というギフトもあるというが、これなど、まさに本命中の彼氏であり、身も心も捧げようという、いじらしい女心の発露と言えるだろう。





はんなりと京都ことばは耳に沁む奈良びととして街を歩めば・・・・・櫟原聰
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──京都に因んで──

    ■はんなりと京都ことばは耳に沁む
      奈良びととして街を歩めば・・・・・・・・・・・・・・・・櫟原聰


先ののBLOGで「京言葉」の句を採り上げたので、その関連というのもおかしいが、「京都に因んだ」歌を挙げてみることにする。
掲出画像は『折々の京ことば』(堀井令以知・著)という本。

また、こんな本もある。
↓ 先に紹介した入江敦彦の本。 『KYOのお言葉』である。
入江

この本は京都人が使う言葉を短い項目にして、たくさん載せてある。
この本の中身については、後日、稿を改めて書きたい。
 
掲出した歌の作者・櫟原聰 は奈良在住の日本文学専攻の人である。
この歌は「奈良びと」として京の街を歩きながら「はんなりとした京都ことば」を聴いている、という面白い歌である。
「奈良」「平城」は京都に都が設営される前の宮都であった。一昨年は「平城京遷都1300年」ということで盛大な通年のイベントが催された。
だが、その都のあった期間は京都に比べると長くはない。それは地理的なものも大いに関係しているようだ。
藤原京、平城京とも、大きな川に恵まれなかった。今でも現地に行ってみられたらよい。
やはり日本の宮都として大きく発展するためには、相当の「川」が──つまり「水」が必要なのである。
奈良朝の末期に聖武天皇が、九州で叛乱があったためとは言え、「恭仁京」を木津川沿いに造営されようとしたが、
平城京に家、屋敷があって狎れてしまった宮人に背かれて、それは叶わなかったが残念なことであった。

daisinin大洗院庭

    ■炎ゆるもの心に持たぬ身はひとり
      白砂の庭にながく遊びぬ・・・・・・・・・・・・・・・・永井聿枝


俳句と短歌の違いは、575と57577というフレーズの長短ばかりではない。
俳句でも「心象」を盛ることは出来るが、短歌はフレーズの多さの分だけ「心象」としての抒情を深めることが出来るということである。
この歌などは、読者にさまざまの感懐を心のうちに引き起こす。

    ■秘めし思ひ熱きわが頬濡れながら
        歩む河原町雪降りしきる・・・・・・・・・・・・・中埜由季子


この歌も、上の歌と同様である。
「秘めし思ひ」とは、どんなことなのだろうか、「わが頬濡れながら」というのだから、心の痛む悲恋か何かだろうか、などと言外に読者の想念を誘うのである。
まして「河原町」という京都のショッピング街としての地の道具立ても出ている。そこに「雪降りしきる」である。
余りにもお膳立てが出来すぎているとも言えるが、こういう芸当は俳句には出来ないことである。
反面、短歌は冗長に堕してしまいがちで、だから心ある歌人は、俳句の持つ「衝撃性」に学ぼうとしたりするのである。

img2d38fb3bzikezj白土塀

   ■今しばし夕やけてゐよ比良・比叡 
      寒の入陽はひとを優しくす・・・・・・・・・・・・・・・・広瀬範子


    ■噛みつかれし如くにわが額痛むまで
      北山おろし吹く京の町角・・・・・・・・・・・・・・・・山野井珠几


    ■町寺の白壁冬の日を浴ぶる
      ところ通りて素直になりぬ・・・・・・・・・・・・・・・・山野井珠几


これらの歌も「比良・比叡」とか「北山」とかの地名のもたらす効果が一首の歌の中に生きている。これこそ「地名」の持つ「喚起力」というものである。
短歌の発する「抒情性」というものが余すところなく、発揮された歌群と言えるだろうか。

ここで「京ことばカルタ」という動画を出しておく。カルタの読み手は「市田ひろみ」さんである。No.2、No.3があるようだ。
「京ことば」の発音とイントネーションの一端が聴ける。 ↓




「おこしやす」格子戸くぐれば梅一輪・・・・戸田静雄
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──京の冬の句アラカルト──

     ■「おこしやす」格子戸くぐれば梅一輪・・・・・・・・・・・・・・・・・戸田静雄

立春も過ぎたので歳時記の上では、もう「春」だが、まだまだ寒いので「冬」の季語の句を、まとめて載せてみたい。
「梅」は厳密には春の季語だが、ここでは大目にみてもらおう。
「おこしやす」は「よくおいで下さいました」ということである。
「やす」とか「やして」とかいう接尾語が京言葉の特徴である。
「やす」と「やして」とは、ちょっとニュアンスが違う。「やす」は言い切りの形だが、「やして」は語尾の余韻の引いたような言い方である。
「おいでやす」は標準語の「いらっしゃい」にあたるが、「おいでやして」は「よくいらっしゃいました」とか「よく来てくれましたなぁ」とかの言い回しになるだろうか。
こういう言い方は若い人には、段々忘れられて、というか「言い回しが使いこなせなくなって」廃れる傾向にある。

kityou4黄蝶

    ■凍蝶の恋に終止符仁王門・・・・・・・・・・・・・・・・・中野英歩

「凍蝶」については後にも書くが、蝶の種類によっては成虫のまま冬を越すものがいくつかある。
↑ 写真に載せる「黄蝶」も、その中のひとつである。
凍蝶が恋をする筈もないが、作者の中の恋の思い出が「仁王門」と結びついているのだろう。
面白い、ふくらみのある句である。

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   ■冴えざえと宿に非常の縄梯子・・・・・・・・・・・・・・・・中田多喜子

「冴え」が冬の季語である。
普通、旅館や病院、ホテルなどには「非常階段」というのが設置されていて、緑色の避難経路の標識がある。
ただ小規模な建物の場合、非常の場合に備えて脱出口と縄梯子があるところもあるようだ。
この句は、そういう非常の時を想定する場合のさむざむとした印象を、うまく一句にまとめている。

sugukimainすぐき

    ■酢茎買ふ京の言葉にさそはれて・・・・・・・・・・・・・・・・松下セツ子

京都の冬の味覚として千枚漬や「すぐき」がある。千枚漬は初冬のものであるが、すぐきは保存が利くので一冬中ある。

      柴漬の茶づけ旨きや冬の京・・・・・・・・星野茜

      冬紅葉余韻涼しき京ことば・・・・・・・・清水雪子

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    ■なはとびにおはいりやしてお出やして・・・・・・・・・・・・・・・・西野文代

「縄跳び」が冬の季語である。
この句は「京言葉」をうまく句に取り入れて成功しているだろう。
「おはいりやして」という京言葉は「お入りになってちょうだい」ということであり、「お出やして」とは「出てください」ということである。
丁寧語の「お」が頭についているのは、言うまでもない。

     漬茄子は一夜にかぎる京の宿・・・・・・・・務中昌己

     京ことば聞こゆる街の暖簾かな・・・・・・・・松井広子

     はんなりと京の言の葉あたたかし・・・・・・・・八木沢京子

後の二句の季語がどれか、何時の季語なのかは今わからない。
京言葉に「おおきに」という感謝を表す言葉がある。
標準語でいうと「有難うございます」ということだが、この言葉の語源は「大きく有難う」の「大きく」=「大きに」という表現のうち、
後の方の「有難う」以下が省略されたものである。
大阪弁でいう「まいど」=「毎度」が「毎度有難う」の後半が脱落したのと、同じことである。

いずれにせよ、今では大阪弁というより吉本芸能系のドハデな、かつ「下品な」大阪弁というより汚い「河内弁」が、
あたかも大阪弁ないしは関西弁かのごとく振舞っているが、残念なことである。
正式の大阪弁というのは「島の内」辺りのものが純粋のものであるが、それらは今では形が崩れてしまって無くなってしまったと言える。
「知ったかぶり」をして京言葉なり関西弁を乱用してもらいたくないものである。


あおくけぶった空から/紙鳩のように/冬のひかりがおちてきた・・・・・・苗村和正
d0054276_19415167枯れ葦

     あおい朝の湖辺で・・・・・・・・・・・・・・・・苗村和正

     あおくけぶった空から
     紙鳩のように
     冬のひかりがおちてきた

     こんな朝の
     だれも通らない湖へかたむく道は
     むきたての木の実のように固くしめっている

     こどもは
     そのひかる道を 髪をゆさぶってかけてゆく

     きくきくと風をならす
     折れ葦の中に ああ めざめている
     ちいさな太陽
     遠い距離となった
     こどもとわたしの間に
     駱駝のかたちで垂れさがっている

     まぶしい風景の
     きれぎれの寒さ

     撓みながらうごく
     遠い湖の波のうえに
     しろくしきりにうごくものはなんだろう

     あかあかと
     染まって
     こどもは まだ はしっている

(北溟社刊『滋賀・京都 詩歌紀行』から)
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この詩に出てくる湖は「琵琶湖」である。
冬の琵琶湖に行く人は、観光客では、めったにないだろう。
枯れ葦も火を放って焼かれて、春の芽だちを促すようにされているだろう。
人も自然も、みな、来ん春の用意をしているのである。



水仙が咲いている/私の部屋の花びんに/花は少し疲れて/花びらのへりを少しちぢませて/花は私を見ている・・・・高田敏子
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──高田敏子の詩──(20)再掲載・初出Doblog2006/02/02

       水仙・・・・・・・・・・高田敏子

      水仙が咲いている
      昨年の暮れから ずっと
      ひと月余り
      水仙の花は咲いている
      私の部屋の花びんに

      花は少し疲れて
      花びらのへりを少しちぢませて
      花は私を見ている
      夜 机の前に坐る私を
      家族の目のないときの
      誰にも知られない一人のときの私を
      少し疲れた花のやさしさで

      灯を消しても
      花の視線は私の上にあるのだった
      闇の中
      ほの白い清らかな星のかたちで
      私の生をいたわり
      静かな眠りへと誘ってゆく

(詩集『こぶしの花』から)



樹の根元のまわりから/雪はとけてゆく/樹の肌にそって まるく/くぼみを作ってゆく・・・・高田敏子
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──高田敏子の詩──(19)再掲載・初出Doblog2006/02/01

         雪・・・・・・・・・・・・・高田敏子

     樹の根元のまわりから
     雪はとけてゆく
     樹の肌にそって まるく
     くぼみを作ってゆく
     その静かな環(わ)のかたちを見るのが
     私は好きだ

     雪はうっとりと
     とけてゆくのだろう
     とけて雪は
     地の中にしみ入り
     樹の根に吸いあげられて
     樹液に変わるのだ

      枝々の先に いっせいに
      噴きだす芽!
 
     うっとりと とけてゆく
     雪の心が
     あの環のくぼみから
     伝わってくる

(詩集『こぶしの花』から)




枯蓮に昼の月あり浄瑠璃寺・・・・・松尾いはほ
15832784_org_v1291646405枯れ蓮
jyoururi12浄瑠璃寺①
 ↑ 浄瑠璃寺
09051537_522826a8b6dfa浄瑠璃寺・九体仏
 ↑ 浄瑠璃寺・九体仏

       枯蓮に昼の月あり浄瑠璃寺・・・・・・・・・・・・・・・・松尾いはほ

掲出句の背景として浄瑠璃寺の写真を出しておく。

普通、「ハス」は蓮根を採るための農作物だが、この頃では「生け花」用に「花蓮」が栽培されている。
私の方の近所でも花卉栽培農家があちこちに「蓮田」を作っている。
もっとも忙しい時期は、月遅れ盆の前10日間くらいである。お盆の行事に蓮の花を仏前に供えるからである。

「枯れ蓮」というのが冬の季語で、葉や蓮の実が残骸のように転がっているのが「あわれ」を催すというので、古くからの季語になっている。

以下、枯れ蓮を詠んだ句を引いておく。

 枯蓮の銅(あかがね)の如立てりけり・・・・・・・・高浜虚子

 蓮の骨日日夜夜に減りにけり・・・・・・・・青木月斗

 蓮枯れて水に立つたる矢の如し・・・・・・・・水原秋桜子

 湖の枯蓮風に賑かに・・・・・・・・高野素十

 枯蓮をうつす水さへなかりけり・・・・・・・・安住敦

 枯蓮のうごく時きてみなうごく・・・・・・・・西東三鬼

 ひとつ枯れかくて多くの蓮枯るる・・・・・・・秋元不死男

 白くさむく枯蓮の裾透きにけり・・・・・・・・草間時彦

 枯蓮の敵味方んく吹かれゐる・・・・・・・・清水昇子

 枯蓮(はちす)考へてゐて日が動く・・・・・・・・岸田稚魚

 枯蓮の折れたる影は折れてをる・・・・・・・・富安風生



心拍の打つリズムを聴いている。 /ああ!私のいのちのリズム! /1/f のいのちの揺らぎ!・・・・木村草弥
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   草弥の詩作品<草の領域>
      poetic, or not poetic,
      that is question. me free !
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──草弥の詩作品<草の領域>──再掲載・私の誕生日に因んで

  草弥の詩─「1/f の揺らぎ」・・・えふぶんのいちのゆらぎ・・・・・・・・木村草弥

   心拍の打つリズムを聴いている。
   ああ!私のいのちのリズム!
   あたたかい血のぬくもりがリズムを打っている
   時にはドキドキしたり
   落ち込んでぐったりすることもあるが─────。
   1/f のいのちの揺らぎ!

   ロウソクの炎が揺れている。
   今日は私のン十年の誕生日
   自分で買ってきたバースデーケーキのロウソクに
   火をつけて
   じっと見つめている。
   ハピーバースデー ツー ユウ!
   口の中で ぶつぶつと呟いてみる。
   ローソクの炎が揺れている。
   1/f の炎の揺らぎ!

   買って来た「物」についているバーコード。
   同じ太さの線が等間隔に並ぶというのではなく
   細かったり、太くなったりするバーコードの線のリズム!
   その線の間隔の並びが心地よい。
   もっとも バーコードとは言っても
   マトリックス型二次元コードは駄目!
   1/f のバーコードの線の揺らぎ!

   どこかで メトロノームが
   かちかちと リズムを刻んでいる
   ヨハン・ネポムク・メルツェルが発明した────。
   規則正しい、ということもいいことだが
   一斉整列、一心不乱、というのは嫌だ。
   強弱、弱強の、
   寄せては返す波のようなリズムの
   波動が欲しい!
   1/f のおだやかな波動の揺らぎ!

   杉板の柾目の箱を眺めている。
   寒い年、暑い年、
   雨の多い年、旱魃の年────
   それらの気候の違いが
   柾目の間隔に刻印されている柾目。
   等間隔ではない樹のいのちのリズム!
   1/f の樹の柾目の揺らぎ!

   そよ風が吹いている。
   小川のせせらぎが聞こえる。
   自然現象は
   時には暴力的な素顔を見せることもあるが─────。
   今は
   そよ風が吹き
   小川のせせらぎの音が心地よい!
   1/f の自然のささやきの揺らぎ!

   どこかで
   ラジオの「ザー」というノイズが流れている
   周波数が合わないのか─────。
   もう片方の耳には
   妻の弾くピアノの音の合間に
   かちかちというメトロノームの
   規則正しい音が聞こえる。

   そのラジオのノイズの「ザー」という不規則な音と
   メトロノームの規則正しい音とが
   いい具合に調和するような
   ちょうど中間にあるような
   1/f の調和したリズムの揺らぎ!

   私の体のリズムと同じリズムである
   <1/f の揺らぎ>に包まれて
   <1/f のやさしさ>に包まれて
   今日いちにち快適に過ごそう!

──(2006.02.07 私の誕生日に寄せて)──
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この作品は私の詩集『免疫系』(角川書店)に収録した。
これは<1/f えふぶんのいち>という言葉に触れて、私の詩作の感受性が一気に開花したものである。
因みに申し上げると「1/f 」とは音楽用語というよりは科学用語である。関心のある方は、お調べ願いたい。
「f」=freqency周波数の略称というか、記号である。
この詩が成功しているかどうか、は読者の判定に待つほかないが、いかがだろうか。

「1/f ゆらぎ」については、このWikipediaの記事に詳しい。  



寒林の栗鼠が落ちこむ空ま青・・・・龍居五琅
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      寒林の栗鼠が落ちこむ空ま青・・・・・・・・・・・・・・龍居五琅

私は「裸木」という言葉が好きなのだが、この言葉の季語が無い。 たから、仕方なく「寒林」というのを引いておく。 

      裸木(はだかぎ)の蕭条と立つ冬の木よ われは知るなり夏木の蒼(あを)を・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第四歌集『嬬恋』(角川書店)に載るものである。
葉を落として粛然と立つ冬の木にも、緑の葉を茂らせた、華やかな夏木の季(とき)があるのである。
「冬の木よ、わたしはそれをよく知っているよ」という呼びかけである。冬木の姿を通して夏木を思い描いている歌である。

『栞草』に「夏木立は茂りたるをいひ、冬木立は葉の脱落したるさまなどいふべし」と書かれている。まさに簡潔にして要を得た言葉と言える。
俳句の季語としては「冬木」「寒木」「冬木立」「枯木」「寒林」などがあるが、この頃では「寒林」が多用されるという。
「枯木」という言葉は、葉を落としただけの冬木の表現としては適切ではない。文字通り「枯れた」木と紛らわしいからである。
掲出した私の歌のように冬木から夏木を連想するという意味では「枯木」は使いたくない。

いま「寒林」という季語を紹介したので、それを詠んだ句を引きたい。

 寒林の日すぢ争ふ羽虫かな・・・・・・・・杉田久女

 寒林の一樹といへど重ならず・・・・・・・・大野林火

 寒林を三人行くは群るる如し・・・・・・・・石田波郷

 寒林やとつくに言葉消えやすく・・・・・・・・石橋秀野

 寒林に日も吊されてゐたりしよ・・・・・・・・木下夕爾

 寒林の栗鼠が落ちこむ空ま青・・・・・・・・龍居五琅

 冬森を管楽器ゆく蕩児のごと・・・・・・・・金子兜太

 寒林に待つは若者眉根濃し・・・・・・・・星野麦丘人

 寒林の奥にありたる西の空・・・・・・・・鷲谷七菜子

 寒林の起ち上る夕日かな・・・・・・・・北野登

 寒林に海の匂ひがよぎりけり・・・・・・・・青木たけし
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南国では、本州との季節差を利用して鑑賞用の菊の栽培が盛んである。
菊は「短日性」の植物なので陽が短くなると咲き出すので、人工的に光線をあてて咲くのを遅くする。こういうのを「電照菊」という。
夜間に電気が点々と点っている風景は、温もりがあっていいものである。 そんな「かりゆし58」の音楽の動画を出しておく。 ↓




立春の風は茶原を吹きわたり影絵となりて鶸(ひは)たつ真昼・・・・・木村草弥
7d3f2449カワラヒワ

      立春の風は茶原を吹きわたり
            影絵となりて鶸(ひは)たつ真昼・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌の前に

      立春の茶畑の土にくつきりと生命線のごと日脚のびたり

という歌が載っている。これらは私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
普通、「ヒワ」と呼んでいるが正しくは「カワラヒワ」というらしい。写真がそれである。
漢字で書くと「鶸」という字で、スズメくらいの大きさで、羽を広げたときの鮮やかな黄色がめだつ鳥である。
この鳥は「留鳥」ということであり、繁殖期以外は集団で行動する。
私の方の茶園は木津川の河川敷にあり、今ころになると茶畑でよく見られる。

私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)の中にも

   野分のなか拝むかたちに鍬振りて冬木となれる茶畝たがやす

   固き芽の茶の畝耕し寒肥(かんごえ)を施(や)れば二月の風光るなり

という歌が載っている。これらも掲出歌と同じ時期を詠んだものである。

昨日は「立春」だった。昔の人が「春立つ」と季節分けした日が来たのである。
今年は一月は、ずっと寒かった。
二月の声を聞くと、そんな寒さが嘘のように日中は最高気温も10度を越えて12、3度を示すようになった。
さすがに朝晩は寒く、田園地帯では、まだ結氷も見られる昨今である。
「大寒」が1月20日ころで、節分、立春というと名前とは裏腹に一年でも、最も寒い頃であるが、さすがに季節は争えないもので、
「光」が全くちがって来て、光量が豊かになってきたという実感がするのである。
これらは野良で、実際に日光を浴びたものでないと実感は出来ないかも知れない。
この頃になると「日の出」の時刻は冬至の頃に比べても十数分早くなった程度だが、
「日の入り」は、ずっと遅くなって、冬至の頃に比べると一時間半ほどは太陽が長く照っている。
「春の日は暮れそうで暮れない」という言葉が昔からある。
私の歌群は、そういう季節感を実生活に則して詠んだものである。

20090215085526ヒワ群舞
↑ 掲出した私の歌の場面を写真にすると、こういう写真になる(撮影はM.N氏)。

以下、ヒワを詠んだ句を引いて終わる。 なおヒワは秋の季語である。

 鶸鳴くや杉の梢に日の残り・・・・・・・・柏後

 砂丘よりかぶさつて来ぬ鶸のむれ・・・・・・・・鈴木花蓑

 鶸渡り群山こぞり山を出づ・・・・・・・・相馬遷子

 北の空暗し暗しと鶸が鳴く・・・・・・・・飯田龍太

 鶸渡る建てしばかりの墓の辺を・・・・・・・・飯田龍太

 大たわみ大たわみして鶸わたる・・・・・・・・上村占魚

 鶸渡る比叡へ流るる霧に乗り・・・・・・・・鈴間斗史

 つと飛びし真鶸高らに天がける・・・・・・・・今牧茘枝

 鶸渡る雨の峠の草伝ひ・・・・・・・・堀口星眠

 さざめきのありて真鶸の枝うつり・・・・・・・・斎藤夏風

 群れし鶸田の土を舐め木に散りぬ・・・・・・・・城取信平

 風と来てオロフレ山に鶸の声・・・・・・・・長谷川草洲

 

立春のどこも動かず仔鹿立つ・・・・・・秋元不死男
852006200720E5B08FE9B9BFE38080E69DB1E5A4A7E5AFBA_E7B8AEE5B08F-abf0e小鹿
 ↑ 奈良公園の仔鹿
12_17p4出雲大社「立春大吉」符

       立春のどこも動かず仔鹿立つ・・・・・・・・・・・・・・秋元不死男

掲出句に合わせて「仔鹿」の画像を出しておく。

「立春」は二十四節気の一つ。暦の上では今日から「春」になる。
まだまだ寒いが、これから「立夏」の前日までの90日間の季節をいう。これを「九春」という。これは「春九旬(90日間)」のことである。
春は寒暑の移り変わりの時期で、二月は寒く、三月に入って寒暖を繰り返しながら、次第にあたたかくなって、四月に暖かさが定まるということである。
昨日は「節分」だったが、この字の「節」の通り、季節がこの日をもって分かたれるのである。寒い寒い冬よ早く去れ、春よ来たれ、という「春」が動きはじめ、春の「気持」が用意されてゆく。
写真①は出雲大社の「立春大吉」の吉札である。
この「立春大吉」という字はタテ書きにすると左右対称形になるから縁起がいい、と古代中国の時代から言い慣わされてきたお目出たい字である。
『山の井』という本に「よろづのびらかに豊かなる心を仕立つ」と書かれているように、春の到来を喜ぶ気持が生まれる頃である。
「春」という字は「張る」「発る」が語源だというが、万物発生の明るい季節感を表現したものである。

harunootodure和菓子「春のおとずれ」
写真②は「春のおとずれ」という名前の立春の季節生菓子で伊勢の「赤福餅」で有名な老舗のもの。
ここは先年、日付表示のことで世間を騒がせたが、「赤福餅」は伊勢のみやげとして欠かすことの出来ないものだから、お客さまの後押しも得て、徐々に立ち直ってきたようだ。
淡い紅色のういろう生地で、こしあんを包んで折りたたみ、梅の花に見立てた菓子である。
伝統的な和菓子の世界では、こういう季節感を大切にした、ほのぼのとした情緒が賞味できる。

siratamatubaki和菓子白玉椿
写真③は、同じ老舗の「白玉椿」という季節の生菓子で、茶道の炉の季節の茶花は何と言っても椿が主役。
早春の今、色つやの美しい葉に囲まれて白一重中輪の早咲き種の白玉椿が花咲かせているのに因む。
伊勢芋を練り込んだ特製の生地で、こしあんを包み、白い清楚な花が茶席の床を飾る白玉椿に見立てている。

「立春」という抽象的な概念を表現するのは難しいもので、ならば、こういう季節感を持った具体的な「物」で視覚的に表わした方がいいと考えて、やってみた。

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P1151721立春初しぼり
写真④は日本酒の「立春搾り」という本日限りの限定版である。
日本酒は消費がじりじり減る傾向にあるので、こういう限定版の商品を発売して何とか売り上げを伸ばしたいという涙ぐましい努力である。
おかげで、こういう限定ものは、よく売れているらしい。インターネット上でも、いくつかの銘柄の立春酒が見られる。
昨年秋からの日本酒の仕込みも今が最盛期で、「蔵出し」の原酒などはおいしいものである。
左党ならぬ私なんかも美味だと思う。
このような趣向は、あちこちのメーカーが同じように採用している。

t-konoesiro近衛白(関西)

写真⑤は「白椿」である。
以下、「立春」を詠んだ句を引いて終わる。

 寝ごころやいづちともなく春は来ぬ・・・・・・・・与謝蕪村

 春立つや愚の上に又愚にかへる・・・・・・・・小林一茶

 雨の中に立春大吉の光りあり・・・・・・・・高浜虚子

 さざ波は立春の譜をひろげたり・・・・・・・・渡辺水巴

 立春や一株の雪能登にあり・・・・・・・・前田普羅

 かかる夜の雨に春立つ谷明り・・・・・・・・原石鼎

 山鴉春立つ空に乱れけり・・・・・・・・内田百閒

 春立つと拭ふ地球儀みづいろに・・・・・・・・山口青邨

 冬よりも小さき春の来るらし・・・・・・・・相生垣瓜人

 春立ちて三日嵐に鉄を鋳る・・・・・・・・中村草田男

 立春の米こぼれをり葛西橋・・・・・・・・石田波郷

 春が来て電柱の体鳴りこもる・・・・・・・・西東三鬼

 立春のどこも動かず仔鹿立つ・・・・・・・・秋元不死男

 立春の雪のふかさよ手鞠唄・・・・・・・・石橋秀野

 人中に春立つ金髪乙女ゆき・・・・・・・・野沢節子

 立春の鶏絵馬堂に歩み入る・・・・・・・・佐野美智

 立春のぶつかり合ひて水急ぐ・・・・・・・・会田保

 畳目の大きく見えて春立つ日・・・・・・・・八田和子



節分の春日の巫女の花かざし・・・・・五十嵐播水
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   節分の春日の巫女の花かざし・・・・・・・・・・・・・・・・・五十嵐播水

掲出した写真は春日大社の節分祭で真夜中に行われる「暁祭」の巫女の神楽奉納。

「節分」は「立春」の前日で、追儺(ついな)──おにやらい、の行事が行われる。
豆を撒いて鬼を退散させ、自分の新しい齢の数だけの豆を食べるのが一般の風習になっている。
関西では戸口に鰯の頭を刺した柊ヒイラギの枝を差したりする。
また、「太巻き寿司」をそのまま、恵方の方角(今年は南南西)を向いて黙って一気に食べる、という風習が流行りだした。
もともと節分は一年に四回あり、季節の変わり目つまり「節」の変わり目にあったが、いつしか立春の前日に集中して行われるようになった。
旧正月で行われた行事──鰯の頭や柊の枝を戸口に差すこと、あるいは十二月晦日ないしは正月の追儺の行事も、節分に移行して、節分の行事となっている。

↓ 写真②は、奈良の春日大社の節分の行事である「春日万灯籠」のもので、三千とも五千とも言われる石灯籠に火が入った様は荘厳かつ圧巻である。
46282753_v1283755338春日万灯籠

京都、奈良には神社仏閣が多いが、この日にはあちこちで盛大な豆まきが行われる。客寄せのために有名人を招いて豆まきをさせたりする。
この節分の行事は室町時代から、今のような形になったと言われている。
壬生寺では壬生狂言「節分」が上演され、参詣者は素焼きの「ほうらく」を買って氏名、年齢などを墨で書いて厄除けを祈願奉納する。
この「ほうらく」は四月の大念仏会で上演される壬生狂言の「ほうらく割り」の中で割られ、これで厄除け、開運が授けられる。
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↑ 写真③は京都の壬生寺の壬生狂言の中の「炮烙ほうらく割り」の場面である。

寺院では「星まつり」と称するところもある。
私の家の菩提寺は日蓮宗だが、特別御祈祷と称して、携帯用の小さい「お札」を呉れるので運転免許証のケースの中に入れて持ち歩くのである。
もちろん御祈祷料が要る。

なぜ節分が年一回になり立春の前日だけに集中したのか、それだけこの日が寒い冬から春に向かう日として一番印象深いからであろう。
その期待感については、明日の「立春」のところで詳しく書きたい。

掲出した句も、春日大社のものであるから、ここで春日大社について少し書いてみたい。

春日大社は710年、藤原鎌足の子、藤原不比等が平城京遷都の際に藤原氏の氏神を祀ったのが始まりとされる。
一方、春日大社の社伝によると、奈良時代後期の768年に現在地に創設されたのが始まりとされている。
このタイムラグは何なのかというと、新興氏族の藤原氏と、すでに他の神々が奈良の山々に居る中で新たに新興の神様を持ってくるためには、
関係者たちとのコンセンサスを得るのに時間がかかったという説があるらしい。(梅原猛『隠された十字架・法隆寺論』新潮文庫)
いわゆる「成り上がり」は「伝統」には弱いということである。
その後、平安時代に入って藤原氏が天皇の外戚となって強大な権力を持つと、皇族や貴族の春日大社詣が増え、庶民の間にも信仰が深まってゆく、というところである。
ついでに書いておくと「興福寺」は藤原氏の「氏寺」であり、現在の寺域は狭いが、当時は今の奈良国立博物館の辺りの奈良公園なども、すべて興福寺の寺領だったという。

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↑ 写真④は滋賀県の多賀大社の節分祭の様子。神官の撒いている豆が鬼にかかるのが見える。

話は春日大社に戻るが、毎年二月と八月に3000ある灯籠に火を入れるが、これらの灯籠の多くは庶民からの奉納であるから、民間信仰の広がりが伺える。
因みに、奈良の「鹿」のことだが、この鹿は「神鹿」として、野生だが人間が限りなく「保護」するものとして今日に至っているが、
御神体であるタケミカズチは白い鹿に乗って鹿島からやって来たとされ、現在に至るまで奈良の鹿は神のお使いということになっている。

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↑ 写真⑤は京都の八坂神社の「福鬼」である。この鬼はわざわざ「福鬼」と断ってあるように、この鬼に頭を撫でてもらうと悪魔が退散して福がもたらされるということである。
以下、節分を詠んだ句を引いて終わりたい。

 節分の何げなき雪ふりにけり・・・・・・・・・久保田万太郎

 節分や灰をならしてしづごころ・・・・・・・・久保田万太郎

 節分や家ぬちかがやく夜半の月・・・・・・・・水原秋桜子

 節分やちろちろ燃ゆるのつぺ汁・・・・・・・・村上鬼城

 節分の豆少し添へ患者食・・・・・・・・石田波郷

 節分や田へ出て靄のあそびをり・・・・・・・・森澄雄

 節分の雪の精進落しかな・・・・・・・・手塚美佐

 米洗ふみづひかりをり節分会・・・・・・・・原けんじ

 節分の陽に透き烏賊の滴れる・・・・・・・・池田和子

 節分の月傾けし軒端かな・・・・・・・・県多須良
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京都の「節分」行事では、色々の面白いものもある。
左京区聖護院の「須賀神社」では江戸時代の風俗「懸想文(けそうぶみ)売り」が出て、良縁を得る縁起物を売る。
上京区の「廬山寺」の「鬼の法楽」という演出は絵画的に面白いものである。
赤青黒三匹の鬼が踊りまわるが、護摩の火を受け、豆と餅を投げられて退散する。

(転載)節分に懸想文はいかが?・・・・・・・京都・須賀神社
kesoubumi03懸想文売り

──(転載)──

以下の文章と写真は「ディープな京都と認知療法」の中のサイトから転載させてもらったものである。いつの年の記事かは不明。転載に深く感謝するものである。
記事末尾の俳句二つは、私が見つけて来て、載せたものである。(草弥記)

    節分に懸想文はいかが?・・・・・・・京都・須賀神社・・・・(転載)

 吉田神社をはじめ京都の神社やお寺では、節分に鬼が出るところが多いのですが、懸想文(けそうぶみ)売り が出るのは、ここ聖護院を東に入った所にある須賀神社をおいてはないでしょう。「懸想文」とは聞き馴れないものですが、これは直訳するとラブレターということになります。ラブレターを「売る」とは、またどういうことなのか?疑問が湧いてきます。好奇心の虫がうずうずしてきます。

kesoubumi01須賀神社

須賀神社は小さな神社で、普段は街のなかに埋もれてほとんど目立たない存在なんですが、節分の二月2・3日になると、お琴の音や、案内を語るおばさんの声がスピーカーから流れ、がぜん活気づいてきます。参拝客も大勢こられます。この境内に入るとすぐ目につくのが、写真①と③の怪しい二人組み。
手に持つのが「懸想文」です。これを売るのが「懸想文」売りで、怪しい二人組みこそ、その正体なのです。
写真①は、その「売り人」にカメラを向けて、ポーズを取ってもらったところなのです。

kesoubumi02懸想文売り

これがうわさの「懸想文売り」なのです。懸想文とは、説明によると「縁談や商売繁盛などの願を叶える符札で、鏡台や箪笥に入れておくと容姿が美しくなり、着物が増え、良縁にめぐまれるというので、古くより町々の娘や嫁にあらかたなものとして買い求められた。この風習は明治以降はなくなり、いまは須賀神社が二月三日の行事をしている」ということなのす。そこで私もぜひ一つ買ってみなくては。もっとも私は別の良縁を求めているわけではないのですが・・・。

この姿は、懸想文の外装にも描かれていて、忠実に再現しているようです。
 
 さっそく件の懸想文を開けてみることにしました。奉書紙に包まれていたのは、梅の枝に結ばれた風情の結び文。そこにはゆかしい和歌が変体がなで書かれています。
「むすほれし 霜はうちとけ 咲く梅の 花の香おくる 文召せやめせ 」と読めます。

kesoubumi05懸想文

kesoubumi06懸想文

 写真が④と⑤に分かれてしまいましたが、④が外装、⑤が中身ということです。
さらに、結び文を解いて読むことにします。こちらは普通のかな書きなので読むだけなら苦労はありません。
「行く水の 流れは 絶えずして・・・」と、なんとラブレターが諸行無常の「方丈記」の冒頭から始まります。艶っぽい内容を期待していたのは、あてがはずれました。

「 創造や漂ひ化せしてふ地(つち)の いにしへぶりの 大地を 」とか「活人剣の像成(かたち)し」とか、なかなか難しい漢語や縁語・懸詞がちりばめられて、ちょっとやそっとでは歯が立たない内容になっています。とても女の人が書いたものとはみえません。これはどこかの大学の国文学の先生が書いているのだと聞いたことがあります。
 最後には、
「壬午(みずのえうま)の春 巳遊喜より
 春駒さままいる」

とあり、この内容は毎年変わっていること、差出人と受取人の名前はそれぞれその年の干支にちなんだ名前になっているのが解ります。あとで調べてみると、最近では
緋兎美(ひとみ)->龍比古(たつひこ)->巳遊喜(みゆき)->春駒(はるこま)

と、女男女男(女性の名前が字は古風なのに、読みは今時風なのが面白いですね)と、毎年つながっているようです。ちょっと考えてみれば、12人のとんでもない片思いの数珠つなぎが、円環をなしているわけで、シェクスピアもびっくりものなんですねぇ。こんなにレアーで、奇想天外・霊験あらたかな懸想文を、皆さんもぜひゲットされるといいと思います。ただしお代は壱千円也で、売りだしは来年の二月2・3日までまたなければならないのですが・・・。

終わりに、俳句の大家の詠んだ句を引いて終わる。

 もとよりも恋は曲ものの懸想文・・・・・・・・高浜虚子

 淡雪を讃ふることも懸想文・・・・・・・・後藤比奈夫


風 吹いてゐる/木 立ってゐる/ああ こんなよる 立ってゐるのね 木/ああ こんなよる・・・・吉原幸子
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8c12b04f8c3cad2f1dab9bf7a231e2bb吉原幸子

       風 吹いてゐる/木 立ってゐる/ああ こんなよる 立ってゐるのね 木/ああ こんなよる・・・・吉原幸子                

吉原幸子が死んで十五年になる。
2012年11月に彼女の『全詩』集が新たな資料も加えて新装刊行された。
先ずWikipediaに載る彼女の概略を引いておく。
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吉原 幸子(よしはら さちこ、1932年6月28日 ~ 2002年11月28日)は、日本の詩人。

東京・四谷生まれ。四人兄妹の末っ子。三陽商会の創業者、吉原信之は実兄。兄姉の影響で幼い頃から萩原朔太郎や北原白秋の詩に親しむ。高校時代には演劇・映画に熱中(演劇部の同級生に女優の荻昱子、朗読家の幸田弘子、二年後輩に宝田明がいた)、また国語教師の詩人那珂太郎の奨めで校内文芸誌に詩作を発表した。一浪の後、1952年(昭和27年)、東京大学文科二類に入学。在学中は演劇研究会に在籍し、サルトルやブレヒトなどの現代劇に出演。1956年(昭和31年)、東大仏文科卒業。初期の劇団四季に入団、「江間幸子(えま さちこ)」の芸名で第6回公演のアヌイ作『愛の條件 オルフェとユリディス』(音楽・武満徹)にて主役を務めるも同年秋に退団。1958年(昭和33年)、黒澤明の助監督であった松江陽一と結婚、一児をもうけるが1962年に離婚。同年、那珂太郎を通じて草野心平を紹介され、歴程同人となる。

1964年(昭和39年)5月、第一詩集『幼年連祷』を歴程社から350部自費出版。思潮社社主の目にとまり、第二詩集『夏の墓』を思潮社から出版。またこの年、吉行理恵、工藤直子、新藤涼子、山本道子、村松英子、山口洋子、渋沢道子ら同世代の女性詩人と8人でぐるーぷ・ゔぇが(VEGA,ベガ)を起ち上げ、1968年の休刊まで詩誌を刊行。1965年(昭和40年)、『幼年連祷』で第4回室生犀星詩人賞を受賞。1974年(昭和49年)、『オンディーヌ』『昼顔』で第4回高見順賞受賞。この頃より諏訪優、白石かずこ、吉増剛造らと共に、詩の朗読とジャズのセッション、舞踏家山田奈々子との舞踏公演など、詩と他分野のコラボレーションを手がけるようになる。1983年(昭和58年)7月、新川和江と共に季刊詩誌『現代詩ラ・メール』(思潮社, 書肆水族館)を創刊。1993年の通巻40号を以て終刊するまで広く女性詩人や表現者の活動を支援した。輩出したラ・メール新人賞の受賞者には小池昌代、岬多可子、高塚かず子らがいる。

1990年頃から手の震えなど身体の変調を来し、1994年にパーキンソン症候群と診断される。1995年(平成7年)、新川和江によってまとめられた最後の詩集『発光』を出版。同年第3回萩原朔太郎賞を受賞。2001年(平成13年)に自宅で転倒し入院。翌2002年11月28日、肺炎で死去。

生前に「私にはふたつ秘密があるの」と語っていた秘密のひとつはレズビアンであったというもので、作品の中でそのことを抽象的に表しているが、本人の口から公式には発表されていない。

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詩集
幼年連祷 歴程社 1964(自費出版)
幼年連祷 思潮社 1964
夏の墓 思潮社 1964
オンディーヌ 思潮社 1972
昼顔 サンリオ出版 1973
吉原幸子詩集 思潮社 1973 (現代詩文庫)
魚たち・犬たち・少女たち サンリオ出版 1975
夢 あるひは… 青土社 1976
夜間飛行 思潮社 1978
新選吉原幸子詩集 思潮社 1978(新選現代詩文庫)
吉原幸子全詩 I, II 思潮社 1981
花のもとにて春 思潮社 1983
吉原幸子 中央公論社 1983(現代の詩人 12)
恋唄 沖積舎, 1983(現代女流自選詩集叢書)
ブラックバードを見た日 思潮社 1986
樹たち・猫たち・こどもたち 思潮社 1986
新編 花のもとにて春 思潮社 1988
発光 思潮社 1995
続・吉原幸子詩集 思潮社 2003(現代詩文庫), 新選吉原幸子詩集の改訂版
続続・吉原幸子詩集 思潮社 2003(現代詩文庫)
吉原幸子全詩 I, II, III 思潮社 2012
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風 吹いてゐる
 
木 立ってゐる

ああ こんなよる 立ってゐるのね 木

風 吹いてゐる 木 立ってゐる 音がする

よふけの ひとりの 浴室の

せっけんの泡 かにみたいに吐きだす

にがいあそび  ぬるいお湯

なめくぢ 匍ってゐる

浴室の ぬれたタイルを

ああ こんなよる 匍ってゐるのね なめくぢ

おまへに塩をかけてやる

するとおまへは ゐなくなるくせに そこにゐる

  おそろしさとは

  ゐることかしら

  ゐないことかしら

また 春がきて また 風が吹いてゐるのに

わたしはなめくぢの塩づけ

わたしはゐない

どこにも ゐない

わたしはきっと せっけんの泡に埋もれて

流れてしまったの

ああ こんなよる

                           (吉原幸子 「無題」より)
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よく引かれる詩である。
冒頭の三行ほどは、部分的に引くと「短詩」としても自立する。
これは彼女が学んできたフランス詩のジュール・ルナールの詩などを想起させる。
ルナールの詩は、こんなものである。

◇ ジュール・ルナール(岸田国士訳)



長すぎる。





二つ折りの恋文が、花の番地を捜している。


詩は削ぎ落して短いほど、鋭くなる。私も少年のころ、これらの詩に触れて、心ふるえたものである。
彼女は詩作品は、全部「旧かな」で書いたと言われているが、きわめて我流である。
旧カナでは、促音、拗音などでも字を小さくしないのが伝統的だが、彼女の場合には新カナ表記のように、小さく書く。 例 →「立ってゐる」。
だから我流という所以である。
文学作品だから、これが間違いだとは言い切れないが、これが短歌、俳句という伝統的な領域ならば、結社の主宰者などによって直されるだろう。
また彼女の詩集の題名にもなっているが『夢 あるひは』というのがあるが、この「あるひは」というのは勘違いによる誤用である。
これは「或いは」英語でいうと「or」の意味だと思われるからで、文語だから「あるひは」だろうという間違った類推によるもので、あちこちで見られる。
「あるいは」は──「あり」の連体形「ある」+間投助詞「い」+係助詞「は」──から成るもので、「あるひは」とするのは「い」の意味が不明になったための誤用、
と古語辞典に明記してある。 これらは日本語表記の約束事であるから、一定のルールの下で使ってもらわないと困る。
私が、彼女の誤用と断定するのは他のところで「或る日」という用法があって、彼女の使い分けが明確だからである。念のために言っておく。
他の詩も二、三引いてみる。
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   -小ちゃくなりたいよう!

   -小ちゃくなりたいよう!

 

 ひどく光る太陽を 或る日みた

 煙突の立ちならぶ風景を 或る日みた

 失ったものは 何だったらう

 失ったかはりに 何があったらう

 せめてもうひとつの涙をふくとき

 よみがへる それらはあるだらうか

 もっとにがい もっと重たい もっと濁った涙をふくとき

 

  わたしの日々は鳴ってゐた

   -大きくなりたいよう!

   -大きくなりたいよう!

 

  いま それは鳴ってゐる

   -小ちゃくなりたいよう!

 

 空いろのビー玉ひとつ なくなってかなしかった

 あのころの涙 もうなけなくなってしまった

 もう 泣けなくなってしまった

 そのことがかなしくて いまは泣いてる   (吉原幸子 「喪失」より)

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 雲が沈む

 そばにゐてほしい

 

 鳥が燃える

 そばにゐてほしい

 

 海が逃げる

 そばにゐてほしい

 

 もうぢき

 何もかもがひとつになる

 

  指がなぞる

  匂はない時間の中で

  死がふるへる

 

 蟻が眠る

 そばにゐてほしい

 

 風がつまづく

 そばにゐてほしい

 

 もうぢき

 夢が終る

 

 何もかもが

 黙る                    (吉原幸子 「日没」)


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 大きくなって

 小さかったことのいみを知ったとき

 わたしは”えうねん”を

 ふたたび もった

 こんどこそ ほんたうに

 はじめて もった

 誰でも いちど 小さいのだった

 わたしも いちど 小さいのだった

 電車の窓から きょろきょろ見たのだ

 けしきは 新しかったのだ いちど

 

 それがどんなに まばゆいことだったか

 大きくなったからこそ わたしにわかる

 

 だいじがることさへ 要らなかった

 子供であるのは ぜいたくな 哀しさなのに

 そのなかにゐて 知らなかった

 雪をにぎって とけないものと思ひこんでゐた

 いちどのかなしさを

 いま こんなにも だいじにおもふとき

 わたしは”えうねん”を はじめて生きる

 

 もういちど 電車の窓わくにしがみついて

 青いけしきのみづみづしさに 胸いっぱいになって

 わたしは ほんたうの

 少しかなしい 子供になれた  (吉原幸子 「喪失ではなく」)

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 純粋とはこの世でひとつの病気です

 

 ゆるさないのがあなたの純粋

 もっとやさしくなって

 ゆるさうとさへしたのが

 あなたの堕落

 あなたの愛  (吉原幸子 「オンディーヌ」より)

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 あのひとは 生きてゐました

 あのひとは そこにゐました

 ついきのふ ついきのふまで

 そこにゐて 笑ってゐました

 

 あのひとは 生きてゐました

 さばのみそ煮 かぼちゃの煮つけ

 おいしいね おいしいねと言って

 そこにゐて 食べてゐました

 

 あたしのゑくぼを 見るたび

 かはいいね かはいいねと言って

 あったかいてのひら さしだし

 ぎゅっとにぎって ゐました

 

 あのひとの 見た夕焼け

 あのひとの きいた海鳴り

 あのひとの 恋の思ひ出

 あのひとは 生きてゐました

 あのひとは 生きてゐました      (吉原幸子 「あのひと」より)
 
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もう二、三、彼女の詩の朗読の動画を出しておく。 ただし詩の文句はないが了承されたし。




いい朗読である。 




太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。/次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。・・・・・三好達治
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      雪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・三好達治

         太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。

         次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

掲出の書は、この詩を書いた彼の「習作」である。

三好達治は、私が少年の頃から好きな詩人だった。大学に居るときに文芸講演会があって、大きな法経教室で三好達治が話をした。
題名も詳しい話の内容も忘れたが、その中でポール・ヴァレリーの言葉として
  <散文は歩行であるが、詩はダンスである>  という話が、私には数十年来、ずっと心に残っている。
このことは、あちこちに書いたし、このBLOGでも書いたかと思うが、散文と詩の違いを極めて的確に、この言葉は言い表わしている、と思う。
参考までに書いておくと、ヴァレリーの、この言葉は彼のエッセイ「詩と抽象的思考」(1939年)の中で書いていることである。
そんなことで三好達治は大好きな詩人として私の「詩」生活とともに、あった。
達治は私とは、もう二世代も前の人、というより私の母と同じ歳だが、彼の詩集は私の書架に残っている。
晩年の「駱駝の瘤にまたがって」という枯淡の境に達した作品なども、舐めるようにして読んだ。

達治の詩は難解な詩句は何もない。俳句や短歌という日本の伝統詩にも理解があり、自分でもたくさん作っている。
「詩」の中に俳句や短歌をコラージュとして含めることも、よくあった。
と、いうより、短歌とか俳句とか詩とかのジャンルの区分をしなかった。

掲出した詩は、一行目と二行目との「太郎」と「次郎」の詩句の違いだけで、字数もきっちり同じという、すっきりした詩の構成になっている。
「詩」作りの常套的な手法として「ルフラン」(リフレイン)が有効であるが、この詩の場合には、これがお手本というような見事なルフランである。

この詩を下敷きにして短歌などがいくつか作られた。
もちろん、その作者なりの必然的な表現として、ではあるが・・・・・・・。

9_photo07三好達治

三好達治(1900年8月23日 ~ 1964年4月5日)は、大阪市西区西横堀町に生まれた。
父政吉・母タツの長男。家業は印刷業を営んでいたが、しだいに没落し、大阪市内で転居を繰り返した。達治は小学時代から「神経衰弱」に苦しみ、学校は欠席がちだったが、図書館に通って高山樗牛、夏目漱石、徳冨蘆花などを耽読した。大阪府立市岡中学に入学し、俳句をはじめ、「ホトトギス」を購読した。学費が続かず、中学2年で中退し、大阪陸軍地方幼年学校に入学・卒業、陸軍中央幼年学校本科に入学、大正9年陸軍士官学校に入学するも翌年、退校処分となった。このころ家業が破産、父親は失踪し、以後大学を出るまで学資は叔母の藤井氏が出してくれた。

大正11年、第三高等学校文科丙類に入学。三高時代はニーチェやツルゲーネフを耽読し、丸山薫の影響で詩作を始める。
東京帝国大学文学部仏文科卒。
大学在学中に梶井基次郎らとともに同人誌『青空』に参加。その後萩原朔太郎と知り合い、詩誌『詩と詩論』創刊に携わる。シャルル・ボードレールの散文詩集『巴里の憂鬱』の全訳を手がけた後、処女詩集『測量船』を刊行。叙情的な作風で人気を博す。

十数冊の詩集の他に、詩歌の手引書として『詩を読む人のために』、随筆集『路傍の花』『月の十日』などがある。また中国文学者吉川幸次郎との共著『新唐詩選』(岩波新書青版)は半世紀を越え、絶えず重版されている。 

若いころから朔太郎の妹アイに憧れ、求婚するが、彼女の両親の反対にあい、断念。
が、アイが夫佐藤惣之助に先立たれると妻智恵子(佐藤春夫の姪)と離婚し、アイを妻とし、三国で暮らす。しかし、すぐに離婚する。
これを題材にして書かれたのが萩原葉子(朔太郎の娘)による『天上の花』(現在は講談社文芸文庫)である。

1953年に芸術院賞(『駱駝の瘤にまたがつて』)、1963年に読売文学賞を受賞(『定本三好達治全詩集』 筑摩書房)。翌年、心臓発作で急死。
没後ほどなく、『三好達治全集』(全12巻、筑摩書房)の刊行が開始された。

20090426110815792s三好達治墓

三好達治の墓は大阪府高槻市の本澄寺にある。三好の甥(住職)によって境内の中に三好達治記念館が建てられている。
私の畏敬するBLOG友であるbittercup氏による「三好達治記念館、墓、伝記などの記事」と写真などがあるので参照されたい。


たちまちにあられ過ぎゆく風邪ごもり・・・・・桂信子
16328790霰

    たちまちにあられ過ぎゆく風邪ごもり・・・・・・・・・・・・・・桂信子

「霰」あられには「雪あられ」と「氷あられ」の二つがあるという。一般には「雪あられ」のことを霰という。
「氷あられ」は雹の小型のもので、雪あられを芯にして、付着した水滴が凍りついたもので、積乱雲から降るので、夏なんかに農作物に穴をあけたりして大被害を与えたりする。
桂信子の句は「あられ」の吹き過ぎる寒々とした景色ながら、佳女が風邪で伏して籠っているという何となく色っぽい光景を連想させる。

霰を詠んだものとしては源実朝の『金槐集』の歌

   武士(もののふ)の矢なみつくろふ籠手(こて)の上に霰たばしる那須の篠原

というのが、よく知られていて、ここでは「霰」が勇壮さを演出する小道具になっている。「玉霰」という表現もあるが、これは美称である。

 いかめしき音や霰の桧木笠・・・・・・・・芭蕉

 霰聞くやこの身はもとの古柏・・・・・・・・芭蕉

 石山の石にたばしる霰かな・・・・・・・・芭蕉

 いざ子ども走り歩かん玉霰・・・・・・・・芭蕉

 傘さして女のはしる霰かな・・・・・・・・炭太祇

 玉霰漂母が鍋をみだれうつ・・・・・・・・蕪村

 玉あられ鍛冶が飛火にまじりけり・・・・・・・・暁台

 匂ひなき冬木が原の夕あられ・・・・・・・・白雄

 呼びかへす鮒売見えぬ霰かな・・・・・・・・凡兆

などの古句は、霰のいろいろの姿態を巧みに捉えている。
以下、明治以後の句を引いて終わる。

 雲といふ雲奔りくるあられかな・・・・・・・・久保田万太郎

 藁屑のほのぼのとして夕霰・・・・・・・・原石鼎

 降り止んでひつそり並ぶ霰かな・・・・・・・・川端茅舎

 灯火の色変りけり霰打つ・・・・・・・・内田百閒

 玉霰雪ゆるやかに二三片・・・・・・・・中村汀女

 人等来るうつくしき霰もちて来る・・・・・・・・山口青邨

 この度は音のしてふる霰かな・・・・・・・高野素十

 畦立ちの仏に霰たまりける・・・・・・・・水原秋桜子

 霰やみし静けさに月さいてをり・・・・・・・・内藤吐天

 霰打つ暗き海より獲れし蟹・・・・・・・・松本たかし

 鉄鉢の中へも霰・・・・・・・・・・・・・・種田山頭火

 玉霰人の恋聞く聞き流す・・・・・・・・清水基吉



大原女の足投出してゐろりかな・・・・黒柳召波
800px-Japanese_Traditional_Hearth_L4817囲炉裏

      大原女(おはらめ)の足投出してゐろりかな・・・・・・・・・・・・・・・・・黒柳召波

床の一部を大きな炉にして、薪や榾(ほた)を燃やして、暖をとるとともに、煮たきもする。
「居る」の延音が囲炉裏だと言い、囲炉裏は当て字ながら、団欒の雰囲気をよく表している。
主人の座のほかに横座、嬶(かか)座、向座、木尻と、座るところが決まっているという。
一年中の団欒の場だが、厨や居間に解体してゆくのが現状だという。

この句の作者である黒柳召波は、与謝蕪村の高弟で、本来は漢詩人で、俳句は余技というが、色彩感覚に秀でた句を作ったという。
明和8年(1771)12月7日に45歳で没したという。それ以外には、私にはわからない。
「朝日日本歴史人物事典」には、下記のように載っている。 ↓

生年: 享保12 (1727)
没年: 明和8.12.7 (1772.1.11)
江戸中期の俳人。名は清兵衛。別号,春泥,春泥舎。京都中立売猪熊に店を構えた町衆の子孫。壮年期に服部南郭に学び,竜草廬の幽蘭社に属したりし,漢詩人として活躍。俳諧は与謝蕪村に師事し,蕪村が炭太祇と提携して三菓社句会を催した折には,最も熱心な門人として参加。明和5(1768)年以降は讃岐から蕪村が帰京し,召波亭で何回となく句会が催された。蕪村門の俊秀で,その他界を蕪村が「我俳諧西せり」と嘆じたことは有名。句集に,維駒編『春泥句集』(1777)がある。<参考文献>潁原退蔵『蕪村と門人』(『潁原退蔵著作集』13巻)
(楠元六男)

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「大原女」(おはらめ)というのは、京都の洛北の大原の土地の女で、京の市内へ花、薪などを売りに来るので、よく知られている。
字の通りに読むと「おおはらめ」となるが、京都では、このように約(つづ)めて発音する。
この写真は「大原女まつり」というのが近年催されていて、そのときのものである。
この行事は行列に参加する人を一般から募集して行われ外人たちも喜んで参加するという。
「白川女」(しらかわめ)というのもあり、白川女は野菜などの食べ物を主として売りに来るので、扱う品物に違いがある。
「白川女」は今でも京都市内には見られる。
だが「大原女」というのは「薪」「柴」などを扱っていたので、今の時代には廃れてしまって、一般的には見かけない。

「榾」という字は「ほた」または「ほだ」と訓む。
囲炉裏にくべる燃料で、木の枝や木の根などで、特に木の根をよく乾燥させたものは火力が強く火持ちがよいので、榾の中心的なものになる。
根の部分を特に根榾と呼ぶ。「かくい」という言葉があるが、それは「切株」を指すものである。

      おとろへや榾折りかねる膝頭・・・・・・・・小林一茶

という句があるが、木の根が中心であることを、よく表している。
「囲炉裏」または「榾」を詠んだ句を引いて終わる。

 火の色の夕間暮来る囲炉裏かな・・・・・・・・小杉余子

 松笠の真赤にもゆる囲炉裏かな・・・・・・・・村上鬼城

 とどまらぬ齢のなかの炉のあかり・・・・・・・・木附沢麦青

 囲炉裏の農夫一度だまれば黙深し・・・・・・・・福田紀伊

 いろいろのものに躓き炉火明り・・・・・・・・高野素十

 主の声炉辺へ出てくる戸の重さ・・・・・・・・中村草田男

 叱られてゐる猫ゆゑに炉辺をかし・・・・・・・・中村汀女

 炉火いよよ美しければ言もなし・・・・・・・・松本たかし

 榾尻に細き焔のすいと出で・・・・・・・・・高野素十

 大榾をかへせば裏は一面火・・・・・・・・高野素十

 そのなかに芽の吹く榾のまじりけり・・・・・・・・室生犀星

 黙々と榾火明りに物食ふ顔・・・・・・・・加藤楸邨

 大榾のおのが覆りて燃えつづく・・・・・・・・皆吉爽雨

 大榾の骨ものこさず焚かれけり・・・・・・・・斎藤空華

 炉の榾のやせ脛ほどになりて燃ゆ・・・・・・・・下村梅子

 榾足すや馬屋に馬の顔うるみ・・・・・・・・村上しゆら

 榾明り触れては消ゆる梁高き・・・・・・・・水原秋桜子

 榾の火にとろりと酔ひし眼かな・・・・・・・・日野草城

 時化海女の榾の香染みし腰ぶとん・・・・・・・長谷川せつ子

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大原というと「猫のしっぽ カエルの手」 ← というベニシア・スタンリー・スミスさんの「京都大原 ベニシアの手づくり暮らし」というNHK─BS3の番組があった。
私の好きな、いつも見る番組であった。



霙るるや鶴と大地を共にして・・・・・藤田直子
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──冬三態──

    ■霙るるや鶴と大地を共にして・・・・・・・・・・・・・・・・藤田直子

「霙」ミゾレとは、雨と雪が同時にまざり降るのをいう。冬のはじめや春のはじめに降ることが多い。
ちょっとした気温の変化で、雨になったり、雪になったりするし、同じ町の山手は雪なのに、下町ではミゾレのこともある。
掲出の句は北海道・釧路の阿寒辺りの冬の間の鶴への給餌場の風景だろうか。
「鶴と大地を共にして」という把握の仕方が秀逸である。
「霙」という名詞に対して、この句では「みぞるる」という「動詞」になっている。

 おもひ見るや我屍にふるみぞれ・・・・・・・・原石鼎

 霙るるや灯(ともし)華やかなればなほ・・・・・・・・臼田亜浪

 霙るると告ぐる下足を貰ひ出づ・・・・・・・・中村汀女

 みぞれ雪涙にかぎりありにけり・・・・・・・・橋本多佳子

 霙るるや小蟹の味のこまかさに・・・・・・・・松本たかし

 夕霙みんな焦土をかへるなり・・・・・・・・下山槐太

 みちのくの上田下田のみぞれけり・・・・・・・・角川源義

 みぞるるとたちまち暗し恐山・・・・・・・・五所平之助

 てのひらの未来読まるる夜の霙・・・・・・・・福永耕二

 沢蟹を伏せたる籠もみぞれゐる・・・・・・・・飯田龍太

 霙るるもレーニン廟に長き列・・・・・・・・寺島初巳

 腹裂きし猪を吊せば霙くる・・・・・・・・茂里正治

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  ■樹には樹の哀しみのありもがり笛・・・・・・・・・・・・・・木下夕爾

冬、風が吹いて、垣根の竹や竿竹などに当たるとき発するひゅーひゅーという音のことを「虎落笛」(もがりぶえ)という。
「もがる」というのは「反抗する」「さからう」「我を張る」「だだをこねる」などの意味を表す言葉で、竿や棒にあたる風が笛のように立てる音である。

 虎落笛子供遊べる声消えて・・・・・・・・高浜虚子

 日輪の月より白し虎落笛・・・・・・・・川端茅舎

 胸郭の裡を想へば虎落笛・・・・・・・・日野草城

 みちのべの豌豆の手も虎落笛・・・・・・・・阿波野青畝

 虎落笛吉祥天女離れざる・・・・・・・・橋本多佳子

 余生のみ永かりし人よ虎落笛・・・・・・・・中村草田男

 虎落笛叫びて海に出で去れり・・・・・・・・山口誓子

 虎落笛ひとふしはわが肺鳴れり・・・・・・・・大野林火

 虎落笛こぼるるばかり星乾き・・・・・・・・鷹羽狩行

 灯火の揺れとどまらず虎落笛・・・・・・・・松本たかし

 来ずなりしは去りゆく友か虎落笛・・・・・・・・大野林火

 牛が仔を生みしゆふべの虎落笛・・・・・・・・百合山羽公

 今日と明日の折り目にふかきもがり笛・・・・・・・・永作火童

001冬景色本命

   ■北風やイエスの言葉つきまとふ・・・・・・・・・・・・・・野見山朱鳥

冬の季節風は北風で、強く、かつ寒い。
シベリア高気圧が発達して、アリューシャン大低気圧に向かって吹く風だと今までは言われてきたが、今では地球規模の気圧変動が北半球では「偏西風」に乗ってやって来るのだという。
昨年の冬のはじめにヨーロッパに寒波をもたらしたものが、どれだけかの日時を経て、日本に到達したのが、昨年暮からの寒波になるという。
とは言え、日本海側は吹雪、太平洋側は空っ風というのは変わりないことである。
「北風」と書いて、単に「きた」と読むこともある。

 北風(きた)寒しだまつて歩くばかりなり・・・・・・・・高浜虚子

 北風にあらがふことを敢へてせじ・・・・・・・・富安風生

 くらがりやくらがり越ゆる北つむじ・・・・・・・・加藤楸邨

 北風(きた)の丘坂なりにわが庭となる・・・・・・・・加藤楸邨

 北風や青空ながら暮れはてて・・・・・・・・芝不器男

 耳傾く北風より遠き物音に・・・・・・・・大野林火

 北風荒るる夜のそら耳に子泣くこゑ・・・・・・・・森川暁水

 北風鳴れり虚しき闇につきあたり・・・・・・・・油布五線

 北風の砂丘を指す馬ならば嘶かむ・・・・・・・・金子無患子



ともしびが音もなく凍る冬の夜は書架こそわれの黄金郷たれ・・・・・木村草弥
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     ともしびが音(ね)もなく凍る冬の夜は
        書架こそわれの黄金郷(エルドラド)たれ・・・・・・・・・・・・・木村草弥


この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
この歌集については春日真木子さんが角川書店「短歌」誌上で批評文を書いていただいたが、その中で、この歌を抽出して下さった。この批評文もWebのHPでご覧いただける。
黄金郷エルドラドなどと大きく出たものであるが、これも読書人としての私の自恃を示すものとして大目に見てもらいたい。

黄金郷エルドラドというのはスペインのアメリカ新大陸発見にともなう時から使われるようになった言葉である。
そのいきさつは、こうである。
「なんでも、アンデスの奥地のインディオの部族は、不思議な儀式をやっていたそうだ。そのインディオの首長は裸の全身に金粉を塗りつけて<黄金の男>に変身すると、金細工できらびやかに装った従者たちを連れて筏で湖へ漕ぎ出す。筏には黄金やエメラルドが山積みにされていて、湖水の真ん中に捧げ物の財宝が投げ込まれ<黄金の男>はやおら水に体を浸すと、金粉をゆっくり洗い落す。金粉はキラキラと輝きながら湖底へ沈んでゆく・・・」。
これこそ15世紀に新大陸を征服したスペインのコンキスタドール(征服者)が耳にした噂だった。そして、遂に、この湖を見つけた。黄金郷エルドラドは本当にあったのだ。
この湖グァタビタ湖に近い盆地に都市を築いた。それが今日のコロンビアの首都ボゴタである。
写真①は、そんな「筏」を黄金で作った現地の金細工である。
黄金郷エルドラドの説明に長くかかってしまったが、私の書架を書くのが本当なのだ。
私は少年の頃は腺病質な子供で、ひ弱な体で、季節の変わり目には腹をこわすような子だったので、戸外を活発に駆け回るというのではなく、
家に居て本を読むなどの内向的な性質だった。
祖父・庄之助から毎月「少年倶楽部」や「幼年倶楽部」という雑誌が送り届けられ、兄たちと夢中に貪り読んだものである。
そのうちに長兄・庄助が集めた小説などを読むようになった。こんな環境が私を文学、文芸の道に親しむ素地を作ったと言えるだろう。
今では庄助の蔵書などは兄・重信の方に行っているから、私の書斎の書架にあるものは、私が今までに読んだもの、私が買ったものであり、その数は万の桁になるだろう。
特に、私は現代詩から入ったので、「詩」関係の本が多くを占める。
私が死んだら、それらは埋もれてしまうので、出来れば「詩」関係の本だけでも「日本詩歌文学館」にでも寄贈したいと思っている。
出来れば「木村草弥文庫」というコーナーでも作ってもらえば有難いと思うが、もっと有名人もおられるので、果たしてどうなるやら。

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写真②は日夏耿之介『明治大正新詩選』という本である。
また講談社から発行されていて今でもある雑誌「群像」の創刊号から10年間くらいのものが欠本なく揃っている。
これらは資料的な価値もあると思われるので、図書館、記念館などに保存してもらうのには最適であろうと考えるのである。


亡き友は男ばかりや霜柱・・・・・秋元不死男
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        亡き友は男ばかりや霜柱・・・・・・・・・・・・・・・秋元不死男

私くらいの歳になると、友人たちが、バタバタと死んでゆく。 この句は、そんな心情を詠んだようである。

「霜柱」は、寒さがきびしい冬でないと見られない。
土の中に含まれる水分が凍って、毛細管現象によって、その下にある水分が次々と供給されて氷の柱が成長し、厚さ数センチから10センチ以上にもなるのである。
霜柱は、土があるところなら、どこでも発生するものではない。
私の子供の頃には、今よりも寒さが厳しかったので、学校へ行く道すがらの脇の畑などでも、よく見かけて、わき道に逸れてザクザクと踏んでみたものである。
総体として「暖冬化」の傾向が進んでいるので、霜柱は段々見られなくなってきた。

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写真②は発生した霜柱がカール(反った)したものである。
関東ローム層の土粒の大きさが、霜柱の発生に丁度よいそうである。
岩波書店刊の「中谷宇吉郎全集」第2巻に、自由学園で行われた「霜柱の研究」について書かれたものが載っている。
それによると紅殻の粉や、澱粉類、ガラスを砕いた粉などを用いた霜柱の発生実験をしているが、赤土だけから霜柱が発生したそうである。
その赤土も、粒の粗いもの、細かいものに分けてやったところ、粒が粗くても、細かくても霜柱は発生しなかったという。
なお、中谷宇吉郎は、世界で初めて雪の人工結晶を作った学者で、これらの文章は戦前に書かれたものである。文筆上では夏目漱石に私淑した。
雪のエッセイなどは私の子供の頃に読んだ記憶がある。

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写真③は「シモバシラ」という名の植物である。
この草はしそ科の植物で学名を keiskea japonica という。これは明治時代の日本の本草学者の伊藤圭介氏に因むものである。
秋10月頃に枝の上部の葉の脇に片側だけにズラッと白い花を咲かせる。
冬になると、枯れた茎の根元に霜柱のような氷の結晶が出来ることから、この名になったという。
冬に枯れてもなお水を吸い上げるが、茎がその圧力に耐えきれずに破裂してしまい、水が外にブワッと出て凍る、という。

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植物のシモバシラの凍結した写真を見つけたので④に載せておく。
写真はリンク ↑ に貼ったサイトから拝借したものである。気象条件によって「氷」の形も、いろいろあるらしい。

以下、霜柱を詠んだ句を引いて終る。

 掃きすてし今朝のほこりや霜柱・・・・・・・・高浜虚子

 霜柱ここ櫛の歯の欠けにけり・・・・・・・・川端茅舎

 落残る赤き木の実や霜柱・・・・・・・・永井荷風

 霜柱しらさぎ空に群るるなり・・・・・・・・久保田万太郎

 飛石の高さになりぬ霜柱・・・・・・・・上川井梨葉

 霜柱枕辺ちかく立ちて覚む・・・・・・・・山口誓子

 霜柱俳句は切字響きけり・・・・・・・・石田波郷

 霜柱倒れつつあり幽かなり・・・・・・・・松本たかし

 霜柱顔ふるるまで見て佳しや・・・・・・・・橋本多佳子

 霜柱傷つきしもの青が冴え・・・・・・・・加藤楸邨

 霜柱兄の欠けたる地に光る・・・・・・・・西東三鬼

 霜柱歓喜のごとく倒れゆく・・・・・・・・野見山朱鳥

 霜柱深き嘆きの声に溶け・・・・・・・・野見山朱鳥

 霜柱踏めばくづるる犯したり・・・・・・・・油布五線

 霜柱踏み火口湖の深さ問ふ・・・・・・・・横山房子




一塊の軒の雪より長つらら・・・・高野素十
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       一塊の軒の雪より長つらら・・・・・・・・・・・・・・・高野素十

目下は「大寒」の期間中であり、一年中で一番寒い時期である。
京都も連日、日中の最高気温も4度、5度という冷たさで、冷蔵庫、冷凍庫の中にいるような日がつづく。
今日は、そんな寒さに因んで、「氷」「氷柱つらら」「氷湖」などについて書きたい。

われわれ暖地に住むものは、雪が何メートルも積もる映像を見ては、「こんなところに住んでみたい」などと簡単に言うが、
そんな豪雪地帯に毎日居住する人にとっては、雪との格闘の毎日であり、深刻な「気が休まらない」「鬱陶しい」ことなのである。
話は飛ぶが、台湾の人は亜熱帯であるから、平生に雪は知らないわけで、台湾からの観光客には北海道の冬は人気があるらしい。
というのは、先に私が書いたことと同じ心理状態ということになる。地元の悩みも知らずに、珍しいもの見たさ、ということである。

 櫓の声波を打つて腸(はらわた)氷る夜や涙・・・・・・・・松尾芭蕉

 氷上や雲茜して暮れまどふ・・・・・・・・原石鼎

 蝶墜ちて大音響の結氷期・・・・・・・・富沢赤黄男

これらの句は「凍てる」風物を単に写生するのではなく、鋭く「心象」に迫るものがある。
三番目の赤黄男の句は「前衛」俳句と呼ばれるものである。
以下、「つらら」を詠んだ句を引いて終る。

 遠き家の氷柱落ちたる光かな・・・・・・・・高浜年尾

 楯をなす大き氷柱も飛騨山家・・・・・・・・鈴鹿野風呂

 絶壁につららは淵の色をなす・・・・・・・・松本たかし

 夕焼けてなほそだつなる氷柱かな・・・・・・・・中村汀女

 月光のつらら折り持ち生き延びる・・・・・・・・西東三鬼

 胃が痛むきりきり垂れて崖の氷柱・・・・・・・・秋元不死男

 みちのくの星入り氷柱吾に呉れよ・・・・・・・・鷹羽狩行

 嫁ぐ日来て涙もろきは母氷柱・・・・・・・・・中尾寿美子

 ロシア見ゆ洋酒につらら折り入れて・・・・・・・・平井さち子

 みちのくの町はいぶせき氷柱かな・・・・・・・・山口青邨



傘さして女のはしる霰かな・・・・・炭太祇
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     傘さして女のはしる霰(あられ)かな・・・・・・・・・・・・・・・・炭太祇

「霰」あられには「雪あられ」と「氷あられ」の二つがあるという。一般には「雪あられ」のことを霰という。
「氷あられ」は雹の小型のもので、雪あられを芯にして、付着した水滴が凍りついたもので、積乱雲から降るので、夏なんかに農作物に穴をあけたりして大被害を与えたりする。
太祇の句は、にわかな霰の襲来に、あわてて佳人が傘をさして走り逃げてゆく様を臨場感に満ちて描いている好句である。浮世絵の一場面にありそうな光景である。

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写真③は山茶花の落花の上に積もった霰である。この写真の方が風情がある。
霰を詠んだものとしては源実朝の『金槐集』の歌

 武士(もののふ)の矢なみつくろふ籠手(こて)の上に霰たばしる那須の篠原

というのが、よく知られていて、ここでは「霰」が勇壮さを演出する小道具になっている。「玉霰」という表現もあるが、これは美称である。

 いかめしき音や霰の桧木笠・・・・・・・・芭蕉

 霰聞くやこの身はもとの古柏・・・・・・・・芭蕉

 石山の石にたばしる霰かな・・・・・・・・芭蕉

 いざ子ども走り歩かん玉霰・・・・・・・・芭蕉

 玉霰漂母が鍋をみだれうつ・・・・・・・・蕪村

 玉あられ鍛冶が飛火にまじりけり・・・・・・・・暁台

 匂ひなき冬木が原の夕あられ・・・・・・・・白雄

 呼びかへす鮒売見えぬ霰かな・・・・・・・・凡兆

などの古句は、霰のいろいろの姿態を巧みに捉えている。
以下、明治以後の句を引いて終わる。

 雲といふ雲奔りくるあられかな・・・・・・・・久保田万太郎

 藁屑のほのぼのとして夕霰・・・・・・・・原石鼎

 降り止んでひつそり並ぶ霰かな・・・・・・・・川端茅舎

 灯火の色変りけり霰打つ・・・・・・・・内田百

 玉霰雪ゆるやかに二三片・・・・・・・・中村汀女

 人等来るうつくしき霰もちて来る・・・・・・・・山口青邨

 たちまちにあられ過ぎゆく風邪ごもり・・・・・・・・桂信子

 この度は音のしてふる霰かな・・・・・・・高野素十

 畦立ちの仏に霰たまりける・・・・・・・・水原秋桜子

 霰やみし静けさに月さいてをり・・・・・・・・内藤吐天

 霰打つ暗き海より獲れし蟹・・・・・・・・松本たかし

 鉄鉢の中へも霰・・・・・・・・・・・・・・種田山頭火

 玉霰人の恋聞く聞き流す・・・・・・・・清水基吉


鰤敷や隣鰤場も指呼の中・・・・鈴鹿野風呂
352鰤網漁

    鰤敷や隣鰤場も指呼の中・・・・・・・・・・・・・・鈴鹿野風呂

鰤(ぶり)のおいしい季節になってきた。
鰤の産地としては「富山」湾が有名である。「鰤網」という大きな定置網で捕えるのである。
鰤は「出世」魚と言われて、関西ではツバス→ハマチ→メジロと大きくなってブリとなる。
念のために書いておくが、関東では呼び名が異なり、同じ時期のものが、ワカシ→イナダ→ワラサからブリとなるという。
掲出写真は「鰤網漁」の体験催しのものである。玄人の漁師は救命胴衣などはつけない。

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ブリは、ぶり科の魚で、紡錘形の体形、青緑の体色で、体の中央に黄色い線が走っている。
秋から春にかけて、産卵のために陸地沿いに回遊する。
先に書いたように成長して「出世」し、90センチ以上になって、はじめてブリと呼ぶのである。
寒中に獲るので「寒鰤」と称する。漁期にあたる12月、1月に鳴る雷を「鰤起し」と呼ぶ。
『本朝食鑑』に「およそ冬より春に至るまで、これを賞す。夏時たまたまこれあるといへども、用ふるに足らず。かつて聞く、鰤連行して東北の洋より西南の海をめぐりて、丹後の海上に至るころ、魚肥え脂多くして味はなはだ甘美なり。ゆゑに丹後の産をもつて上品となす」とある。
当時は都が京都であったから、最寄りの海というと丹後ということになるので、ここの産が珍重されたのであろう。

鰤の料理としては、刺身のほかに照り焼き、ブリ大根、鰤の「沖すき」鍋なども季節の味覚である。

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鰤ないしは鰤網を詠んだ句は多くはないが、それを引いて終る。

 鰤網を越す大浪の見えにけり・・・・・・・・前田普羅

 鰤網を敷く海くらし石蕗(つは)の花・・・・・・・・水原秋桜子
 
 血潮濃き水にしなほも鰤洗ふ・・・・・・・・山口誓子

 鰤が人より美しかりき暮の町・・・・・・・・加藤楸邨

 二三言言ひて寒鰤置いてゆく・・・・・・・・能村登四郎

 大き手もて鰤つかみ佇つ老いし漁婦・・・・・・・・柴田白葉女

 青潮のもまれ躍れり鰤と見ゆ・・・・・・・・出羽里石

 鰤と蜜柑夕日どやどや店に入る・・・・・・・・小原俊一

 虹の脚怒涛にささり鰤湧く湾・・・・・・・・楠美葩緒

 鰤来るや大雪止まぬ越の岬・・・・・・・・羽田岳水

 鰤網に月夜の汐のながる見ゆ・・・・・・・・原柯城

 鰤敷や海荒れぬ日は山荒るる・・・・・・・・西本一都

 
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